an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

もう一つの「血の記憶」

 イタリアでは毎年1月の後半になると、各マスメディアが1月27日の『国際ホロコースト記念日』もしくは『追憶の日』について様々な番組が放映したり、本が出版されたりする。

 先日も車で移動中にラジオでこのテーマを扱っていたので、興味をもって聴いていた。一人のイタリア系ユダヤ人劇作家(残念ながら名前は聞きそびれてしまった)が、そのラジオ番組で語っていた主張は、彼の立場を考慮すると非常に感銘深いものであった。

 彼は「ホロコーストの犠牲者について、プロパガンダや偏向的な意見が横行していることに非常に危機感を感じる。犠牲になったのは我々ユダヤ人だけではなく、独裁政治に反対し囚われた人々やロマ人、同性愛者、エホバの証人などがかの地で殺されたのである。だからこそこの記念日の名前を『Giorno della Memoria』から『Giorno delle Memorie』(「記憶」という言葉の複数形)にすべきである」と語っていた。つまり、ユダヤ人というアイデンティティーを持った人々だけが犠牲になったのではなく、様々な異なる人種や意見や立場の人々が犠牲になった、そのそれぞれの「記憶」を思い出すべきなのだ、と主張していたのである。

 この老齢のユダヤ人劇作家の言葉を聴きながら、私は第二次大戦終戦後のイスラエル建国時におきた、忌まわしい惨殺の歴史を思い出していた。ヨーロッパにおいてアンティセミティズムの嵐によって散々苦しみ、非人道な方法で多くの同胞を失っていたユダヤ人達は、『民の無い土地を、土地の無い民に』という大義のもとに、パレスチナの土地に昔から住んでいた多くのセムの子孫でありアブラハムの子孫であるアラブ人たちを惨殺したのである。(サイト『イスラエルの建国時の残虐性』を参照。個人的には、サイト主の意見に対して全面的に賛同しているわけではないが、歴史の本やマスメディアでは取り扱われない史実を扱っているという意味で、参考になると思う。)

 上述の記念日が、「本来起きてはならなかったことが起きてしまったことを思いだし、二度と起こらないようする」という目的のもとに設立されたのならば、闇の中に隠されてしまっているもう一つの「血の記憶」に光をあてることは、偏向しがちな私達の良心に必要なことではないだろうか。