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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

良心の清め

十字架の言 同性愛問題

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 ダヴィデ像やシスティーナ礼拝堂で有名なミケランジェロは、激しい苦悩の中にいた晩年にこう嘆いたと伝えられている。「絵画も彫刻も、もはや私の魂を鎮めることはできない。ただ神のうちに平安を見いだす」。ルネッサンス芸術だけでなく、西洋美術を代表する存在のこの芸術家は、同性愛者だったといわれている。もし彼の告白が神の前で正直なものであったとしたら、その苦悩は彼の良心を引き裂くようなものだったはずである。
 昨年の秋にある男性が礼拝に訪れた。礼拝後、その男性はカトリック教会の聖職者になるために神学校を出たが、同性愛者としての自分を捨てきれず、小学校の教師になる道を選んだという経緯を話してくれた。これ程デリケートな内容を初めてあった人間に話せる彼の大胆さに驚いたが、彼が苦しんできた過去が感じ取れて、そのまま話を聞いていた。「聖職者になることはあきらめたが、良心の呵責によって苦しい人生を過ごしている」「神は自分を同性愛の性質をもった人間として造ったのに、なぜこのように苦しまなければならないのか」と、落ち着いているが非常に強い口調で話していた。私は、私たちが様々な方法で良心の呵責と拭い去ろうとしても、不可能であることを説明した。自分の人生を「神への犠牲」として捧げたとしても、逆に様々な口実で神の真理を否定してみたとしても、神によって造られた人間の良心を解放することはできないのである。それができるのは、神が備えて下さった御子イエス・キリストの十字架の死を心から信じることのみだという福音を語った。
 結局彼は、数回礼拝に通った後、来なくなってしまった。しかしここ数か月の間、思いがけないときに、思いがけない所で、何回も彼に会う機会が与えられた。昨日も、ある約束の時間までサント・ステファノ広場に座って考え事をしながら過ごしていたら、目の前に彼が現われた。彼は、サント・ステファノ教会で祈り捧げ終えて出てきたところだった。ブラジル人の司祭と話をし、コミュニティーにも参加するようになったという。しかし、まだ神との平和が得られてはおらず、心の葛藤が続いているといっていた。そこで、冒頭のミケランジェロの告白を思い出したので、良心の解放について彼と話すことになった。
 どのような教会に通おうとも、また様々な思想で神を否定しようとも、どんな偉業を達成しようとも、私達の心の解放は、その心を含め人間という存在そのものを創った主なる神が定められた解決方法でしか得ることはできないのである。ある宗派で納得いかず、他の宗派に移り、ある教会では居心地悪かったけれど、今の教会ではいい関係を見つけられた、と納得するまで捜し続けるというのも、それぞれの責任として干渉することはできない。しかしたといそれが宗教的であったとしても、人間の営みの中には真の解放は存在しないことを認めるとき、主なる神は私達の魂を十字架の下へ導いてくださる。そこには、私達の良心を清める唯一の源泉がある。

へブル9:14
永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。

Ⅰヨハネ1:7-10
7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。