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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ヘブライ語新約聖書が原典?

聖書 聖書による検証

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 新約聖書の最も古い写本は、ギリシャ語で書かれたものである。そのギリシャ語は、古典ギリシャ語ではなく、コイネと呼ばれる口語体で、しかも西セム語(ヘブライ語とアラム語)的表現が多く使われている。聖書学者らの中には、ヘブライ語で書かれたイエス・キリストの言葉を集めた何らかの記録を、できるだけ直訳に近い形でギリシャ語に翻訳しながら福音書が書かれたのではないか、という仮説を説く人もいる。なぜ仮説かというと、実際にはヘブライ語による新約聖書の原本もしくは写本というものが現存しないからである。

 古シリア語(アラム語)で書かれた新約聖書の訳本(実際、写本ではなく訳本である)を原典と主張し(Aramaic Peshitta Bible Repository)、それを底本として翻訳している出版社もあるが(Hebrew New Testament)、そもそもペシタ訳には『ペテロ第二の書簡』、『ヨハネ第二の書簡』、『ヨハネ第三の書簡』、『ユダの手紙』、『ヨハネの黙示録』が含まれていない。                 

 またミゲール・アタラージャという名のスペイン人が、「La Pluma Divina」(神の羽根ペン)という名の出版元から『El Manual de Yahweh』(ヤウェのマニュアル)という書を出版している。日本人の中にも自らのサイトで大いに宣伝している人がいる。

 実際にこの出版元のサイト(http://www.laplumadivina.es/)を見てみると、

el Libro más sabio que existe en toda la tierra: Las Escrituras traducidas de los originales hebreos al español (La Toráh, El Tanaj y El Brit Hadasha) 

地球上で最も賢明な書、ヘブライ語原典からスペイン語に翻訳された書物(トラー、タナー、そしてブリット・ハダシャ)

とはあるが、翻訳の「底本」の種類に関しての詳細は明記されていない。ただディエゴ・アスクンセというキューバ人が、「ヘブライ語原典からスペイン語の翻訳するために誰の助けも借りなかった」(Diego Ascunce no tuvo ayuda de nadie para traducir Las Escrituras originales hebreas al español)とあるので、完全な個人訳であることが公言されている。そしてこの翻訳者の死後、前述のスペイン人が編集し出版に至ったとある。

 私は個人的にこのミゲール・アタラージャ氏にメールを書いて、ヘブライ語の新約聖書の「原典」とはどの写本のことを指しているのか三度質問してみたが、答えは「聖霊に導かれた、人為的操作されていない真理の言葉」と答えるだけで、実際にどの写本を翻訳の底本にしているかについては回答がなかった。試しにFranz Delitzschの『ברית חדשה (Berit Khadasha), Hebrew New Testament』か、と質問したところ、違うという回答であった。

 そこでネット上で検索してみると、私と同じような問題意識を持ち、同じように質問した人の記事を見つけた。新約聖書の解釈学で学位を持ち、コスタ・リカのサン・ヨゼのESEPA Bible College and Seminaryで教授をしているGary Shogren氏は、彼のブログの2013年11月10日付の記事の中で、同じような疑問を持ち、アタラージャ氏にヘブライ語の新約聖書の「底本」の資料を三度請求したらしいが、回答はなかったと書いてある。(La Traducción Kadosh Israelita Mesiánica – no es una versión confiable (edición actualizada) | Razon de la esperanza

Tres veces he escrito al Ministerio Pluma Divina, para pedir copias digitales de los supuestos manuscritos hebreos del Nuevo Testamento. Todavía no me ha respondido, y no me sorprende, pues tal evidencia NO EXISTE.

  ごく普通の感覚で考えても、奇妙な対応である。例えば、日本で原産地の偽装表示問題があると聞くが、もし消費者の質問や厚生省などの調査に対して、「原料は新鮮なものを使っています。正真正銘の日本産です」と言いながらも、原料がいつ、どこで作られたか、何が入っているか、などを回答してこない食品会社があったらとしたら、あなたはどの様に思うだろうか。その食品会社の製品を口にしたいと思うだろうか。ましてや、その製造元が他の全ての会社の製品を「いかがわしい製品」と批判し、自分の製品の優秀性を公に宣伝しているとしたら、あなたはその製品を購入しないだけでなく、公正な評価ができるよう確かな証拠の開示を求めるだろう。

 ちなみに前述の『ברית חדשה (Berit Khadasha), Hebrew New Testament』は、テクストゥス・レセプトゥス(Textus Receptus)という公認底本と、シナイ写本を二つの底本としてギリシャ語からヘブライ語に翻訳され、1877年にドイツのライプツィヒにて出版された新約聖書である。翻訳を手掛けたのは、ルター派の神学者Franz Delitzsch(Franz Delitzsch - Wikipedia, the free encyclopedia)で、ユダヤ人への宣教に役立つためという目的で翻訳した。ヘブライ語新約聖書のスタンダードとして高く評価されているが、いくらイスラエルの民が使っていた言語に翻訳されているからといっても、当然「原典」や「写本」としての権威を与えることはできないことは明白である。聖書学的観点では、ギリシャ語底本を翻訳した訳本であり、キング・ジェームス訳やルター訳と同じカテゴリーに属するからである。

 上記の『El Manual de Yahweh』を出版しているアタラージャ氏は、もし本当に神の御言葉が純粋で、その言葉の翻訳に携わる者としての責任意識を持っているのなら、他の現代訳聖書ではごく一般的に行われているように、「底本」が何であり、どのような性質のものなのか、サイトで具体的に明記すべきであろう。

 この『El Manual de Yahweh』を基に、キリスト教全体を批判したり、信徒らに愛され、彼らの救いと聖化にもたらしきた様々な聖書を「サタンの影響を受けた混ぜ物」と主張することは個人の自由である。しかしその個人の自由には、神の前において『あなたたちが量るその秤で、あなたたちに量られる』という公平な責任が伴うことも忘れてはならないのである。

 

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追記1(2013年12月29日)

 へブライ語新約聖書には、もう一つの重要なバージョンがあるという情報を得た。Salkinson-Ginsburg訳の『Ha-Berit ha-Ḥadashah』(「新しい契約」という意味。つまり新約聖書)で、British Missionary Societyのもとで1877年に翻訳、1886年にウィーンで出版された。翻訳者・編集者は、キリストを信じ、宣教師となったロシア系ユダヤ人とポーランド系ユダヤ人の二人である(The Salkinson-Ginsburg Hebrew New Testament)。ちなみに、このへブライ語新約聖書もギリシャ語の底本(テクストゥス・レセプトゥス)から翻訳されたものである。

 ほぼ同時期(1877年と1886年)にドイツとウィーンで2つのバージョンのヘブライ語新約聖書が発行されたのは大変興味深い。ヨーロッパでシオニズムが生まれた時期と重なっているのは、単なる偶然ではないだろう。

 

追記2(2014年9月24日)

 上述の『ヤウェのマニュアル』の編集者アタラージャ氏は、ギリシャ語の新約聖書写本をヘレニズム文化によって「汚染」されており純粋な神の御言葉ではない、とし、出典の明示さえしようとしない「ヘブライ語新約聖書の原典」を基に、スペイン語に翻訳し、インターネットを通して約100ユーロ(スペイン国外発送の場合、郵送料込)で販売している。下の写真は、サイトから引用したものである。

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 複数の人から繰り返し出典の明示を求められているにも関わらず、明確な出典をサイトに提示していないが、決済方法に関しては万全である。

 しかし私が根本的な矛盾と思うことは、サイトにおける価格や決済方法ではなく、言語学上の問題である。アタラージャ氏は上記の理由でギリシャ語原典を否定しているが、彼が翻訳に使っているスペイン語について考えたことがあるのだろうか。スペイン語だけに限らず、イタリア語や英語さえも、古典ギリシャ語の影響を受けていることは否定できない事実である。

 皮肉なことに、アタラージャ氏が「神から啓示を受けてつけた」というタイトルで使われている「MANUAL」という単語さえ、「ENCHIRIDION」というギリシャ語から派生したもので、ストア派の哲学者エピクテトスの著作『Enchiridion』

Enchiridion of Epictetus - Wikipedia, the free encyclopedia

の普及によって一般化した単語である。(EN-CHEIR "In hand" 「いつも手に持っているべき本」という意味でエピクテトスは使った。)

 歴史において全ての言語は、様々な異文化の影響を受けながら絶えず変化してきてたし、これからも変化していくだろう。そのような意味において「純粋な言語」というものは存在しない。しかし、主なる神はそのような人間の言葉を通して、御自身の真理を絶えず啓示してきたのであるから、その歴史における神の働きを否定することは、神の主権そのものを否定することを意味しないだろうか。

 

追記3(2015年4月25日)

 聖書はその本質や成り立ちからして、公共性や共有性をもっている。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)というイエス・キリストの宣教命令そのものが、聖書が時代を超えて全世界のあらゆる言語の人々に対して公開され、共有されるべき存在であることを定めている。

 しかしその公共性は同時に、聖書が批判や否定の対象となることも意味する。実際、歴史の中でこの本ほど激しく批判され、破棄され、焼かれてきた本は存在しない。それでもなお、現在に至るまで多くの人々の魂を慰め、永遠の救いに至る希望を与えてきたのである。

 その聖書を「サタンの影響を受けた混ぜ物」と批判し、「『ヤウェのマニュアル』こそは人為的操作されていない真理の言葉」という主張し、それを和訳して公開することは、勿論個人の責任において自由である。

 ただその『ヤウェのマニュアル』の底本を公開しないことや、批判する者に対してサイト出入り禁止宣言をしたりする(公園を出てのコメント欄を参照)のは、明らかに矛盾する姿勢である。「私は聖書を『ヤウェのマニュアル』と比較して批判しサイトに公開しているが、『ヤウェのマニュアル』を批判する者はサイトに来るな、『ヤウェのマニュアル』を読むな」と主張しているからである。

 神が真理であり、真理は神のものである。罪びとは恵みと憐みによってのみ、その真理の言葉に携わることが許されている。決して忘れてはいけない大前提である。

 

追記4(2015年10月1日)

 教会史家エウセビオス(西暦260/265-339年)の『教会史』によると、ヒエラポリスのパピアス(西暦70-150年ごろ)が、「マタイは主の言葉をヘブル語で書き記した。そして各自が解釈した」(3.39.16 9)と語ったと記録されている。

 また同じ『教会史』の中で、リオンのエイレナイオス(西暦140-200年頃)が「マタイは、ペテロとパウロがローマで福音を宣教し、教会をたて上げているとき、ヘブライ人のために彼らの言葉で書いた福音を刊行した」(5.8.2 10)と語ったと記録されている。

 しかしエレイナイオスの記録は、新約聖書の記録と異なる。ローマの教会は、使徒パウロがローマに行くだいぶ前から存在し、その信仰の証は諸教会においてすでによく知られていたからである(ローマ1:8 参照)。

 また『教会史』には、オリゲネス(西暦185ー250年頃)が「最初に書いたのはマタイで、彼は取税人だったが、後にイエス・キリストの使徒となった。彼はへブル人信徒たちのためにヘブル語で福音書を刊行した。」(6.25.3)と語ったと記録されている。

 このように、『マタイによる福音書』が当初、へブル人のためにヘブライ語で書かれた、という記録があるが、残念ながらその実物は現存していない。また写本も存在していない。これらの記録を基に、「使徒たちはもともとユダヤ教に属し、ユダヤ人だったのだから、新約聖書の原語はへブル語である」と主張するのは、新約聖書の内容自体を無視する、根拠のないこじつけである。