「真理の道」と「偽善の脇道」
テトス1:1-4
1 神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、
2 偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望みに基くのである。
3 神は、定められた時に及んで、御言を宣教によって明らかにされたが、わたしは、わたしたちの救主なる神の任命によって、この宣教をゆだねられたのである――
4 信仰を同じうするわたしの真実の子テトスへ。父なる神とわたしたちの救主キリスト・イエスから、恵みと平安とが、あなたにあるように。
ガラテヤ2:1-3
1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。
2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。
3 しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。
Ⅱコリント8:16,17,23
16 わたしがあなたがたに対して持っている同じ熱情を、テトスの心にも与えて下さった神に感謝する。
17 彼はわたしの勧めを受けいれ、そして更に熱心になって、自分から進んであなたがたのところに行った。
23 テトスについて言えば、彼はわたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者である。この兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光である。
ユダヤ人として生まれ、キリストの恵みによって救いを受け、異邦人の使徒として神から召命を受けた使徒パウロは、ギリシャ人のテトスを「信仰を同じうするわたしの真実の子」と呼び、コリントの信徒たちには「自分と同じ、否、それ以上に熱心な心を持っている」「わたしの仲間」「わたしの協力者」として紹介している。エルサレムで行われた非常に重要な使徒会議(使徒行伝15章)に、異邦人宣教の実の見本として連れて行く程、またコリント教会でエルサレム教会の貧しい信徒のために募金を任せる程、テトスの事を信頼していた。
パウロは自分が信じる「キリストの恵みの福音」、つまり「神はユダヤ人もギリシャ人も分け隔てなく、キリストを信じるその信仰によって救う」という福音を実践していたのであった。アンテオケの教会で、同じ福音を知りながらも異邦人の信徒たちから離れていったユダヤ人信徒の偽善を見極め、的確に非難するほど、使徒パウロは「福音に生きていた」のである。
ガラテヤ2:11-14
11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。
イタリアのカトリック教会では、五十年近く前まで全てラテン語でミサを行っていた。当然、「聖職者のように聖くも、霊的知識もない(!?)」一般市民や子供たちは、神との間に建てられた「目に見えない偽善の壁」を、根拠のない無力感で受け入れていたのである。しかし、アメリカへ移住していて真の福音を経験したイタリア人たちが、聖書片手に自分の故郷に帰り、自分たちの言葉で伝道したことによって前世紀にリバイバルが起きたのである。
パウロはユダヤ人であることやヘブライ語の知識を鼻に掛け、ギリシャ人のテトスにヘブライ語で手紙を書くほど、傲慢でも、嫌味な人間でもなかった。偽善の脇道に引きずり込まれることなく、「福音の真理によって真っ直ぐ歩いていた」からである。
この手紙の結びにある「福音理解」と「勧告」は、簡潔ながら恐ろしいほど的確である。
テトス3:3-11
3 わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。
4 ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、
5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。
6 この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。
7 これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。
8 この言葉は確実である。わたしは、あなたがそれらのことを主張するのを願っている。それは、神を信じている者たちが、努めて良いわざを励むことを心がけるようになるためである。これは良いことであって、人々の益となる。
9 しかし、愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい。それらは無益かつ空虚なことである。
10 異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。
11 たしかに、こういう人たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯しているからである。