an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「復元」という名の捏造

新世界訳聖書の実像ーものみの塔

第五部『問題点の整理とまとめ』

 

<まとめ>

  • クリスチャンギリシャ語聖書(新約聖書)に「エホバ」の文字が「復元」される根拠は、膨大な新約聖書古代写本、パピルスには何一つない。
  • ヘブライ語聖書(旧約聖書)には当然、「エホバ」の語源である、יהוה は、非常に多く書かれている。また、ギリシャ語版旧約聖書(LXX:70人訳)の旧いパピルスFad266号にも、「エホバ」の語源は残されている。しかしこの同じFad266号の他の断片には、Кύριος(キュリオス=主)の省略形が使われている。また、大多数の70訳旧約聖書写本はYHWHを、Кύριος(キュリオス=主)と訳している。George Howard教授の参照資料には、バイリンガル(ギリシャ語とヘブル語又はアラム語)の地域であるパレスチナ、シリア地区においては、70人訳旧約聖書の神の名前としてYHWHのほかに第二義的にКύριος(キュリオス=主)を併記していた。
  • ヘブライ語聖書(旧約)とクリスチャンギリシャ語聖書(新約)は、書かれた時代も著者も全く異なる。
  • J 参照は基本的に、ヘブライ語版新約聖書であり、AD14世紀以降に、ギリシャ語原語からヘブライ語に翻訳されたものであり、ここに「エホバ」の根拠を求めてもギリシャ語原語の写本に「エホバ」の記述がなければ、当然あるはずもない。
  • J 2のヘブライ語マタイ福音書は、George Howard 教授自身がその著書「Hebrew Gospel of Matthew」において語っているように、ユダヤ教、反キリスト教の立場から書かれたものであり、且つ神聖な名前は「ה״  」(ha-shem)であり、「エホバ」「יהוה」ではない。つまり参照する文献としては極めて不適切である。
  • J 参照と比べて、軽視されているLord 参照はP46に代表されるように、AD200年頃と極めて旧いものが多く、18,000以上と膨大な量である。これらは、「エホバ」を証拠立てるものは何一つない。全てКύριος「主」または、θεός「神」である。
  • J 参照の内容を細かく検討していくと、「エホバ」又は{神}=「キリスト」という箇所が多く見られる。

 よって、新世界訳クリスチャンギリシャ語聖書(新約聖書)において、何を根拠に、「エホバ」の「復元」が行われたのか。いや「復元」であれば、元はあったと誤解されるので、始めから存在しなかったのであるから、「全くのでっちあげ」と言うべきである。「神の霊感」によってなどと「復元」したなどと言うのは、カルト教団の常套語に他ならない。

  『ヘブライ語新約聖書が原典? - an east window』において記述したディエゴ・アスクンセ個人訳、ミゲール・アタラージャ個人編集、「La Pluma Divina」出版の『El Manual de Yahweh』(ヤハウェのマニュアル)も、同じコンセプトにおいて「復元」が主張されている。キリスト教に対する批判、「名」に関する不毛な執着、三位一体や携挙の教義の否定、「イエス・キリストがかけられたのは十字架ではなく一本の杭である」と主張する点など、本質的な面でエホバの証人との共通点が見られる。

 編集者の苗字アタラージャATALAYAが、スペイン語で「ものみの塔、Watch Tower」という意味であるのも、偶然にしては出来過ぎである。