人の時、闇の支配の時
ルカ22:52-54
52 それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。
53 毎日あなたがたと一緒に宮にいた時には、わたしに手をかけなかった。だが、今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」。
54 それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。
「今はあなたがたの時、また、闇の支配の時である」。「時間」の創造主、全知全能の支配者、神の御子イエスが言った言葉である。罪人が神の御子を強盗のように扱う時。人間が万物の主を自分たちの好きな所へ引きずり回す時。宗教指導者たちが、真理である方を死刑に定め、十字架に架ける時。何の値打もない釘によって救い主の体が動けなくされている時。闇が光を包み込む時。死が命の君をのみ込む時。
しかし、そんな「邪悪な人間の時」「闇の支配の時」にあっても、神の御子は「時の支配者」であった。
ルカ23:44-46
44 時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。
45 そして聖所の幕がまん中から裂けた。
46 そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。
ヨハネ19:30
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
主イエスは、天地に起こるべき現象が起こる前に息を引き取ることはなかった。全てが完了する時を待ち、自らの意思で、ご自分の霊を父なる神の御手に委ねられた。被造物には自分の霊に対する力も権威もない。しかし霊をも創ったイエス・キリストは、その権限を持っているのである。だからこそ、全てが完了したと見做した時に、霊を父の御手に渡すことによって、彼がすべてを完了させることができたのである。
人間の計画、力、策略、傲慢、暴力、堕落などが私たちの時を支配し、闇の中に一人取り残されたような時でも、「十字架にかけられたイエス・キリストに全てを委ねる」という主体的な信仰は、誰も、如何なるものも奪い去ることはできないのである。「神の時」が来れば、御子を死から復活させた命の御霊が、私たちをも「不信心な人間の時」「闇の支配の時」から完全に解放してくださるであろう。
ヨハネ1:4,5
4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
聖句は、口語訳聖書より引用 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955