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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

教会の本質―マタイ18章の考察(5)

教会

 マタイ18:18-20

18 よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。 

19 また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 

20 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

 18節は、マタイ16:19でペテロに対してイエス・キリストが語った言葉(わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう)が、全ての信者に向けて語られたものである。この「つなぐ(結ぶ)・解く」という表現には様々な解釈がある。

  • 当時のユダヤ人の間で使われていた表現で、「つなぐ(結ぶ)」は「非合法と宣言すること」で、「解く」は「合法と宣言すること」という意味で使われていたと言われている。つまり「あなたがたが地上でキリストの律法に対して非合法であると宣言することは、天上でも非合法であると宣言され、合法であると宣言することは、天上でも合法だと宣言される」という解釈である。
  • 婚姻関係上の法的拘束を表すに使われている。パウロはこのシンボルを律法と関係に適用している。マタイの文脈においては、「つなぐ(結ぶ)」とは教会との関係が結ばれた状態を指す、「解く」とは教会との交わりが断たれた状態を指す(17節)。

Ⅰコリント7:27

もし妻に結ばれているなら、解こうとするな。妻に結ばれていないなら、妻を迎えようとするな。 

ローマ7:1-2、6

1 それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。 

2 すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。

6 しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。 

  •  罪や悪による束縛とそこからの解放を意味する。

イザヤ58:6

わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。 

ルカ13:15
15 主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。

16 それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。 

 どの解釈も適用可能であると思うが、一番目と二番目は、赦しと教会との交わりという文脈から考えると、より整合性があるのではないだろうか。

 使徒パウロは、コリントの教会で起きた不品行の問題を、この教えによって対処した。パウロの裁きとその後の赦しが、コリントの教会全体の前と、キリストの御前で決められたことが分かる。

Ⅰコリント5:3-5

3 しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。 

4 すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、 

5 彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。

 Ⅱコリント2:6-10

6 その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、 

7 あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。 

8 そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める。 

9 わたしが書きおくったのも、あなたがたがすべての事について従順であるかどうかを、ためすためにほかならなかった。 

10 もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。  

 十九節と二十節は、地上で心を合わせて集まり祈るところには、イエス・キリストの臨在が約束され、そして御子は私達罪びとのために、御霊を通して執り成しの祈りを父の御前にささげてくれるのである。

ローマ8:26,34

26  御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。 

34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。 

 この完全な御子の執り成しがあるからこそ、十九節の神の約束が成就し得るのである。「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。」 また、御子の執り成しの目的を考えれば、この約束が特に「罪の赦しと和解」に関して言及していることも理解できるのである。

(6)へ続くhttp://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2013/08/05/005620