an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

サマリヤの女―疎外感と帰属意識

ヨハネ4:4-30

 この聖書の箇所に記述されているイエス・キリストと一人のサマリヤ人の女性との会話を読むと、ある一つの特徴に気が付く。一般論化するのは強引かもしれない。しかし、日常生活の中で多くの人が実感しているものでないかと思う。

疎外感と帰属意識という、一見矛盾する二つの意識を私たちは持っているということ。

 この女性は、サマリアのスカルという町に住んでいたが、おそらく過去の男性関係が原因で、町の他の住民とは交流がなく、町の宗教的行事にも参加することができない状況だったと思われる。実際、当時の風習からすると、昼の一番暑い時間帯に井戸に水を汲みに行くことはまずあり得ず、通常女性達は午前中の涼しい時間帯に井戸に行き、あの全世界共通の女性の営み、「井戸端会議」をするのが常であった。しかし、このサマリヤの女性は違った。誰にも会わないように昼の12時頃、井戸に来たのである。彼女は同郷の人々から疎外された孤独な女性であった。それにもかかわらず、静謐でありながら妙な説得力を持って自分に語りかけてくるイエスとの間に一線を引くかのように、「私たちの父ヤコブ」「私たちの祖父たち」と第一人称複数形を使っている(12、20、25節)。疎外されて孤独に生きていたにもかかわらず、民族や伝統、宗教への帰属意識によって、イエス・キリストが自分の領域に踏み込んでくることを拒もうとしていたのである。「私たちはこちら、あなたたちはあちら。この一線は超えないでね」と。

 しかし、イエスはこの女性を一つの魂、神の救いが必要な迷える一匹の子羊とみていた。だからこそ、あえて彼女のごくプライベートな領域に踏み込む一言を言ったのである。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」(16節)。イエスは彼女が今まで五人の夫を持ち、そしてその時同棲生活をしていたことを知っていた(18節)。彼女が結婚や家庭という根本的な帰属意識の拠り所を持つことに失敗し、失望し、言いようのない孤独の中に生きていたことも知っていた。だからこそ、あえてこの個人的な領域に踏み込んだのである。

 彼女はそれを聞いて、目の前で話しかけているユダヤ人が只者ではなく、預言者だと認めた(19節)。しかし今度は、宗教的帰属意識を持ち出してまた一線を引こうとした(20節)。「淫らな女」として宗教的にも社会から疎外されていたにもかかわらずである。そこでイエスはまるで彼女の言葉を遮るように「女よ、わたしの言うことを信じなさい」と、熱意をもって呼びかけた。「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(23、24節)。

「そうだ、今、あなたは父なる神が切に求めている真の礼拝者になることができる。だから、今すぐ私を信じなさい」と。

 しかし彼女は目の前に差し出された選択の責任に戸惑ったのか、「いつかメシアが来たときにすべてが明らかになるのは知っています。だからその時に決めます。今すぐにではなく」という一般に知られていた「教義」の知識で、個人的な責任を先送りにしようとした。「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」(25節)。 

 そこでイエスは答えた。「あなたと話をしているこのわたしが、それである」(26節)。これだけ明確に自分があのメシアであることを宣言しているケースは数少ない。特に地上における宣教の初期は、自分がメシアであることを公に語らないように命令していたほどである。しかしイエスは、この時、この機会にこの女性がご自身を信じることを熱望しておられた。だからこそ、疑問の余地がないほど、はっきりと啓示されたのである。

 

国家、民族、土地、文化、哲学、宗教、学校、会社、サークル、友人、家族。

 私たちは様々な帰属関係を持っている。バーチャルの世界も例外ではない。しかし、そのような関係においても、しばしば互いに疎外し合い、孤独である。渇ききって形骸化した帰属関係の中で、裸の魂は一人ぼっちで苦しんでいる。

 そんな一つの魂を愛して「見知らぬ人」イエスは語りかけてくださる。あなたが本当はほとんど実態のない帰属意識で、イエスとの間に一線を引こうとするのを彼は知っている。「私たちの国は」「私の会社は」「私たちは先祖代々」「私の家族はみんな」「私の友人はみんな」、等々。

 

 それでもイエスはあなたを愛してやまない。「今日」「今」と言える間に、あなたが彼を信じることを熱望し、「私が、あなたの渇き切った魂を潤す生ける水を与える、あなたの救い主である」と語っているのである。

イザヤ43:1-3 

あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。 

あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。  

わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主である。