an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(17)箱舟の外に築かれた祭壇

創世記8:13-22

13 六百一歳の一月一日になって、地の上の水はかれた。ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると、土のおもては、かわいていた。

14 二月二十七日になって、地は全くかわいた。

15 この時、神はノアに言われた、

16 「あなたは妻と、子らと、子らの妻たちと共に箱舟を出なさい。

17 あなたは、共にいる肉なるすべての生き物、すなわち鳥と家畜と、地のすべての這うものとを連れて出て、これらのものが地に群がり、地の上にふえ広がるようにしなさい」。

18 ノアは共にいた子らと、妻と、子らの妻たちとを連れて出た。

19 またすべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上に動くものは皆、種類にしたがって箱舟を出た。

20 ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。

21 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。

22 地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」。 

 大洪水の後、主なる神はノアの家族に「箱舟を出なさい」と命じた。その言葉に従って、ノアの家族は自分達が長い時間をかけて造り、自分達の命を救ってくれた箱舟を後にして、天幕に移り住んだ。そしてノアの子ら、セム、ハム、ヤぺテを通して地に再び人が増えていった。

 普通に考えたら不思議な選択である。自分が汗水流して建てた巨大な木造建造物を捨てて、移動式の天幕に移り住んだのである。ノアの家族にとっては、箱舟に留まることは何よりも安全で、また自分達の「救い」を証しする動かない証拠であったはずである。生活する拠点としてだけではなく、神に生け贄を捧げ、神を礼拝する場所として絶好の場所ではなかっただろうか。ノアは自分の子孫らを集めて主なる神の神殿とするのにこれ以上ふさわしい建造物はなかったはずである。

 しかし神はノアに「箱舟を出なさい」と命じ、ノアはそれに従って箱舟の外に祭壇を築き、燔祭を祭壇の上に捧げ、そして天幕で生活することを選んだのである。主なる神は「人が心に思い図ることは、幼い時から悪」く、神を礼拝するのに目に見えるものや手で触れることができるものに頼る性質があることを知っていたからではないだろうか。実際、後の時代にモーセを通して律法が与えられ、神の幕屋における礼拝が定められた後も、イスラエルの民は偶像崇拝に走り、またはソロモン王によって建てられた神殿においても、宗教的祭儀などに満足して真の神を畏れ敬うことを忘れ、かえって神の宮を「商売の家」「盗賊の巣」に変えてしまった。

エレミヤ7:1-11

1 主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。

2 「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。

3 万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。

4 あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。

5 もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、

6 寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、

7 わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。

8 見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。

9 あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、

10 わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。

11 わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。

 だからこそ、御子キリストが地上に来られたとき、エルサレムの神殿を清め、そして十字架の死と復活によって、神殿祭儀による礼拝を「霊と真理による礼拝」へと昇華させたのである。

ヨハネ2:13-22

13 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。

14 そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、

15 なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、

16 はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。

17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。

18 そこで、ユダヤ人はイエスに言った、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せてくれますか」。

19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。

20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。

21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。

22 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。 

 殉教者ステパノも、神の宮における礼拝を行うことに自分たちの正しさを見出していたユダヤ人らを真理によって戒めた。

使徒7:48-50

48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、

49 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。

50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。

 どんな立派な建造物で礼拝を捧げようと、またその中でどんな霊的な経験をしたとしても、真の神の宮は信じる者の心の中にあり、その小さな宮の中に永遠の神が宿ってくださる事実に、『インマヌエルー神はわれらとともに』の奇蹟が証しされている続けるのである。

 箱舟を出て、祭壇を築き、主なる神に燔祭を捧げたノアは、今でも私達が目に見えるものによってではなく、「霊と真理によって父なる神を礼拝すべきこと」を教えている。

ヨハネ4:21-24

21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。

23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。