真のユダヤ人
ローマ2:28-29(新改訳)
28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
ピリピ3:2c-3
2c 肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。
3 神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。
「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく」
「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり」
モーセの律法に従って生後八日で割礼を受け、ベンヤミン族出身の生粋のユダヤ人であった使徒パウロが、このように「真のユダヤ人」の定義をしていることで、ユダヤ人の選民意識やメシアニック・ジューの驕り、アシュケナジー系ユダヤ人の起源に関する議論やアンチセミティズム、日ユ同祖論すらも全て十字架に収斂し、意味を失う。
「神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしない」
「人からではなく、神から来る」誉れを待ち望む
これこそ「真のユダヤ人」の本質であり、人間の驕りによって淀み、混乱した世界に聖霊が残す確かなしるしである。