「没薬を混ぜた葡萄酒」を飲まなかった御子イエス
マタイ27:34
彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
御子イエスが十字架に架けられる前に差し出された「苦味を混ぜた葡萄酒」の「苦味」と和訳されている原語 【χολή cholē】は「胆汁」であるが、『マルコによる福音書』の並行節によると、【σμυρνίζω smurnizō】「没薬」とある。
マルコ15:23
そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。
没薬 もつやく myrrh
ミルラともいう。カンラン科Burseraceaeコミフォラ属Commiphoraの木本植物からとれるゴム樹脂を集めたもの。古代エジプトで薫香料、ミイラ製造時の防腐剤に用いられ、聖書にも貴重な品物として記述されている。この植物はアフリカ北東部、アラビア半島、インドの岩石の多い乾燥地帯に分布し、約100種を含む。高さ3~10メートル、樹皮は灰白色、短い枝はのちに長刺になり、小さな3小葉からなる複葉をもち、雌雄異株。幹の皮部と髄の離生分泌腔(こう)に黄白色の油性ゴム樹脂を形成し、風害などにより皮部に損傷を生ずると外部に滲出(しんしゅつ)し、乾燥して黄褐色ないし赤褐色の堅い塊となる。精油3~10%、樹脂25~45%、ゴム質50~60%、水分5%、その他3~4%からなり、収斂(しゅうれん)、鎮痛作用があるので、腫(は)れ物、外傷、打撲傷、痔漏(じろう)、筋肉痛の治療に外用し、歯齦(しぎん)炎、咽頭(いんとう)炎の含嗽(がんそう)料とし、歯みがき粉にも加えることがある。
(日本大百科全書の解説)
当時のユダヤ人の習慣として、死刑囚に対する慈悲行為として、その身体的・精神的苦痛を和らげるために、一種の麻酔剤としてこのような「苦味を混ぜた葡萄酒」「没薬を混ぜた葡萄酒」を与えていたようである。
その根拠として以下の箴言を引用している見解もある。
箴言31:6
強い酒は滅びようとしている者に与え、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えよ。
それではなぜ御子イエスは、その慈悲心の現われであった「苦味を混ぜた葡萄酒」を拒否したのだろうか。それは「苦味を混ぜた葡萄酒」を御子に与えようとした「彼ら」が、ローマ総督の兵士たち、つまりユダヤ人ではない異邦人であったからでも、またその兵士たちが御子のことを愚弄したり、暴力を振るっていたからではなかった。
マタイ27:27-31
27 それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。
28 そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、
29 また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。
30 また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。
31 こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。
御子が「それをなめただけで、飲もうとはされなかった」「お受けにならなかった」のは、自らに与えられていた「律法の呪いの死」の苦しみを完全の「味わう」ためだったからだろう。
へブル2:9
ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。
ヨハネ18:11
すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。
その杯は、罪に対する神の怒りの杯であり、本来、神に逆らう罪びとが飲むべきものを、罪のない御子が身代わりとなって飲み干した「死」であり、「神の裁き」であった。
『黙示録』には、御子による恵みの福音を拒否した人々に対して大患難期に下る神の裁きについて、「神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒」と表現されている。
黙示録14:10
神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。
人間は普通、苦痛を恐れ、なるべくそれを避けようとする。また他人が苦しんでいるのを直視することがないよう、様々な理由付けを用意する。しかし御子は私たちが恐れ、思わず逃げてしまうような、そんな苦痛や苦悩の中に入っていくことを恐れないばかりか、それを自ら背負ってくださる方である。
いや、むしろ御子が経験した「混ぜ物なしの葡萄酒」、つまり神の裁きによる苦痛や苦悩は、人間が体験する以上のものであった。だからこそ、御子は人がたとえどのような苦しみの中にいても、救いの恵みの言葉を与えることができるのである。ゴルゴタの丘の上で、ご自分と同じように十字架に架けられていた強盗に対して語ったように。
ルカ23:39-43(新改訳)
39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。
40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」