an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

キリストの奥義

エペソ3:1-6

1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ――

2 わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたであろう。

3 すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。

4 あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。

5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。

6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。  

 ここで使徒パウロは、キリストの奥義に関して非常に簡潔に説明している。

異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。

  「私たち」とは、使徒パウロを含めたユダヤ人信仰者のことを指す。つまりユダヤ人の中からイエス・キリストの福音を信じて救われた人々と、ユダヤ民族の属さない全ての人々の中から救われた人々が、キリストの体である教会として一つになり、共に神の約束を受け継ぐ者となることである。

 異邦人信仰者がキリストを信じることによってユダヤ人選民意識の中に吸収されたのでは断じてない。ユダヤ人も異邦人も、それぞれ罪の奴隷状態や地上的宗教性から贖い出され、キリストの体の中に導き入れられ、教会として一つの民となったのである。

 福音の真理を受け入れた信仰者にとっては明確なことだが、終わりの時には「イスラエル民族の選民意識」に惑わされている人々が少なくない。異邦人信仰者が政治国家としてイスラエル共和国との関係を見つめ直すよりも、イスラエル人だろうがディアスポラのユダヤ人だろうが、また他のどの民族に属しどの国に住んでいようが、各自がそれぞれの信仰によって「救い主イエス・キリストとの関係」を見つめ直すことの方が、はるかに重要であり、優先すべきことである。

ガラテヤ3:26-29

26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。

27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。

28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

コロサイ3:11

そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。