私たちに自省を促す神からのメッセージ
先日12日、イタリア南部のプーリア州バーリ北部で起きた電車の衝突事故によって、23名の犠牲者の方々が亡くなった。その犠牲者のうち、約100km/hで衝突した衝撃によって飛散した電車の破片の直撃を受け、たまたまその事故現場に居合わせた老人が亡くなったと聞いた。この方は、事故現場の航空写真にわかるように、線路沿いの自分のオリーブ畑で農作業をしていて、事故に巻き込まれてしまったのである。
衝突があった路線は、イタリアで唯一、緊急自動停止装置が配置されていない単線だということで、なぜ安全装置が配置されていなかったのか、という段階まで掘り下げた調査が行われるようである。
いずれにせよ、事故が発生した午前11時、双方の電車を利用していた乗客は勿論のこと、線路沿いのオリーブ畑でおそらくいつもと同じように農作業をしていた上記の老人も、自分の命のリスクなど微塵も想像していなかっただろう。
同様に、フランスのニースの海岸通りで、心地よい夜風に涼みながら花火を観て楽しんでいた人々も、まさか凶器と化したトラックによって、地上の命を奪われることになるとは夢にも考えていなかっただろう。
これらの犠牲者が亡くなる前の在り方と、今この瞬間生きている私たちの違いとは何だろう。私たちのうち、誰が彼らよりも不測の事態に備えて生きていると言えるだろうか。彼らよりも、「不測の死」を意識して一瞬一瞬を大切に生きている、と誰が声高に誇れるだろうか。
勿論、理論的に信仰者は、いつ地上の人生が終わっても不思議ではない、という知識を与えられているが、現実的には、それほど重要ではないと自ら知っている一過性の事や本当にどうでもいいことに囚われ、多くの思いはまるで風に漂うシャボン玉のようではないだろうか。
だから毎日のように知らされるこれらの悲劇の犠牲者の方々の血は、遺族の方々に対する祈りと共に、私たちに対して強烈な自省を促す、主なる神からメッセージとして受け入れるべきものだと信じる。
それは、防備しようのない不測の事態に備え、怯えて生きることでも、このような出来事を「不運」としてなるべく自分の生活から遠ざけ、地上の人生を楽しむようにすることでもない。
それは、誰もが例外なく、生と死をつかさどる主なる神の御前に必ず立ち、申し開きをしなけばならない、そして誰もそれを避けることは決してできないという、峻厳な事実であり、今、この瞬間にも、主イエス・キリストの身代わりの死によって、永遠の命を得る可能性がすべての信じる者に与えられているという、「良き知らせ」、つまり救いの福音である。
ルカ13:1-5
1 ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。
2 そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。
3 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。
4 また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。
5 あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。
へブル9:27
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
へブル4:12-13
12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
ヤコブ4:13-17
13 よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。
14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。
15 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。
16 ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。
17 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。
詩篇90:3-6;12
3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
4 あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
12 われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。
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