an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(39)イエス・キリストの恵みにとどまる

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ローマ5:1-5

1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。

2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。

3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、

4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。 

 「彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ」

 この箇所には、イエス・キリストを信じる信仰によって、神に罪を赦され、義とされた人間にとって、自分に対するその神の恩恵に留まることが、如何に希望に満ち、また力強い「いのち」に満ちているかを啓示している。

 その「信仰によって神の恵みに導き入れられ、そこに留まる」ことは、「神の栄光にあずかる希望」という、永遠の観点からの恩恵だけでなく、この地上における生においても「生産的」であることが書かれている。そしてこの地上の生が誰にとっても多くの苦悩と痛みを抱えているものだからこそ、神の恵みに心を開く者は誰でも、神のいのちが何かを生み出す力に喜びと希望を見出すのだ。

 「患難をも喜んでいる」と言う表現においての「患難 tribulations(複数)」という言葉は、圧迫、苦痛、苦悩、苦悶、重荷、迫害、災難という意味ももつ。その地上で経験しうるあらゆる人間の「患難」が、イエス・キリストの恵みにおいては、信仰者の道を断ち塞ぐ「落石」のような存在ではなく、信仰者のために力強く働きかけ、より優れたものを「生み出す」の助け手のように啓示されているのは、大きな驚きであり、また慰めではないだろうか。

  • 患難は忍耐を生み出す

  • 忍耐は錬達を生み出す

  • 錬達は希望を生み出す

 「生み出す」と和訳されている原語「κατεργάζομαι katergazomai」は、「成し遂げる、完遂する、成就する」という意味をもつ。信仰者の心に宿る聖霊は、熟練職人のように、「患難」という人間的にはネガティブな要素からさえも「神の栄光にあずかる希望」という崇高なものを造り出してしまうのである。

 勿論、「信仰によって」と書いてあるからといって、人間が「運命論者」のように患難を嫌々受け入れて生きることを意味していない。逆に「信仰によって」聖霊の働きに対して積極的に自分を明け渡し、それと共に働くことを意味する。

 その意味で、使徒ペテロの勧めの言葉は、「いつまでも存続する信仰と希望と愛」(Ⅰコリント13:13)が私たちの心の中で成就するための、補完的な啓示だと言える。

Ⅱペテロ1:3-8

3 いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。

4 また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。

5 それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、

6 知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、

7 信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい

8 これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。

 そう、イエス・キリストによる恵みによって、「いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている」「尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている」のであり、信じて求めるならば「手にする」ことができるがゆえ、レンガで家を建てるように、一つ一つ「加える」ことができるのだ。それがたとえ、とても時間のかかることだとしても・・・。

 そして主イエスが「私のうちにとどまっていなさい」と命じているのは、これらの神の賜物が恵みの中に豊かに備えられているからである。

ヨハネ15:1-11

1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。

7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。

9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。

10 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。

11 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。