ガリラヤ湖畔から約1.5KM離れた「Et-Tel」と呼ばれているこの場所は、福音書に登場するベツサイダの廃墟である。当時はガリラヤ湖畔に面した村で、ヘブライ語で「漁の家」という意味の「ベツサイダ」という村の名前からもわかる様に、漁業で栄えていた。
十二使徒のアンデレとペテロは漁師であり、ピリポと共にベツサイダ村の出身であった。
ヨハネ1:44
ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。
1987年から続いている考古学研究により、この村は紀元前十世紀頃、ダビデ王の妻であり、アブサロムの母であるマアカの父で、ゲシュル王国の王タルマイの町であったことが判明している。
Ⅱサムエル3:3
その次はカルメルびとナバルの妻であったアビガイルの産んだキレアブ、第三はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブサロム、
ゲシュルびとは、モーセの後継者ヨシュアの時代に、イスラエルの人々が彼らを追い出さなかったために、イスラエルの民の間に住んでいた。
ヨシュア13:13
ただし、イスラエルの人々は、ゲシュルびとと、マアカびとを追い払わなかった。ゲシュルびとと、マアカびとは、今日までイスラエルのうちに住んでいる。
ダビデ王はそのイスラエルにとって異邦人であるゲシュルびとの王の娘マアカと戦略結婚をし、生まれたのが反逆の子アブサロムであった。このアブサロムは、異母兄弟アムノンが自分の妹タマルを辱めたことに対して復讐して殺させたとき、母の実家のゲシュルに三年間身を隠した。
Ⅱサムエル13:37-38
37 しかしアブサロムはのがれて、ゲシュルの王アミホデの子タルマイのもとに行った。ダビデは日々その子のために悲しんだ。
38 アブサロムはのがれてゲシュルに行き、三年の間そこにいた。
主イエス・キリストが地上で宣教活動していたとき、ベツサイダにおいて多くの目覚ましい奇蹟を行い、村の人々は福音について主イエスの教えを聞いた。
マルコ8:22-26
22 そのうちに、彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、ひとりの盲人を連れてきて、さわってやっていただきたいとお願いした。
23 イエスはこの盲人の手をとって、村の外に連れ出し、その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか」と尋ねられた。
24 すると彼は顔を上げて言った、「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。
25 それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。
26 そこでイエスは、「村にはいってはいけない」と言って、彼を家に帰された。
ルカ9:10-11
10 使徒たちは帰ってきて、自分たちのしたことをすべてイエスに話した。それからイエスは彼らを連れて、ベツサイダという町へひそかに退かれた。
11 ところが群衆がそれと知って、ついてきたので、これを迎えて神の国のことを語り聞かせ、また治療を要する人たちをいやされた。
それでもベツサイダの村の人々の多くは、悔い改めて福音を受け入れなかった。それゆえ、コラジンとカぺナウムと共に、主イエス・キリストの非常に厳しい言葉を受けることになった。
マタイ11:20-24
20 それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。
21 「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。
22 しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
23 ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。
24 しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
御子を通して神の言葉を直接聞き、その力ある働きを直接見たベツサイダの人々の方が、イスラエルに属さない異邦人の町ツロやシドンの人々よりも、裁きの日には責任が重いだろう、と警告しているのである。これは聖書の他の箇所において啓示されている真理である。
ルカ12:47-48
47 主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。
48 しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。
勿論、この真理は「無知な人には罪がない」という意味ではない。
レビ記5:17
また人がもし罪を犯し、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをしたときは、たといそれを知らなくても、彼は罪を得、そのとがを負わなければならない。
ローマ2:12
そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。
ここで主イエス・キリストの「わざわいだ、ベツサイダよ」という糾弾の言葉を聞いたベツサイダ村出身のアンデレやペテロ、ピリポのことを考えてみよう。間違いなくベツサイダの村には多くの親戚や昔からの知り合い、友人、幼馴染などがいただろう。弟子たちは、その人々が主イエスの驚くべき奇蹟を見たにも関わらず不信仰でいたことに、心を痛めていたことだろう。さらに、これらのアブラハムの子孫であり同胞である人々が、神を畏れない異邦人よりも罪が重いという主イエスの言葉を聞いて、恐れ慄いたことだろう。
それでも主イエスの弟子として生きるということは、そのような「内なる激しい痛み」を伴うものでもあると聖書は明示している。
ルカ14:26-27
26 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
27 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。
マタイ10:37-40
37 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
40 あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
マタイ19:29
おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
現代の福音宣教の多くは、このような「内なる痛み」に触れないように人々を誘導する。「神は愛だから、すべての人はもう救われている。だから大丈夫」「十字架、十字架って、カルトみたい。肩の力を抜いて、もっと気楽に生きましょうよ」と。
しかしもし私たちがこの真理から耳をそむけ、耳さわりのいい話に心を向けたとしても、ベツサイダの廃墟の石は叫んでいるのである。「主イエスの言葉は真理であり、その裁きは正しい。悔い改めて、主イエスに聞き従いなさい」と。
ベツサイダに関する考古学的資料があるサイト: