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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ナザレの謎(8)ヨセフとマリヤの不思議な行動

 イエス・キリストの故郷として考えられているナザレの村とは直接関係ないが、キリストの誕生の経緯の中で啓示されている、一見矛盾していると思われる点を提示してみたい。これらの点は、聖書を神の御言葉として愛し、熟読している人なら誰でも一度は取り組むものである。勿論、私の動機は聖書の啓示に対する不信心を煽ろうというものではなく、聖書の啓示を神の御言葉としてそのまま向き合うがゆえに生じる疑問を提示し、教義的・宗教的都合によってタブー化し、アンタッチャブルな領域に押し込めたり、逆に強引な解釈で自己欺瞞に陥ることなく、御言葉の前に跪き、神の光を求めるべきだと信じているからである。

マタイ2:19-23

19 さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、

20 「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。

21 そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。

22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、

23 ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。 

 『マタイによる福音書』は、ダビデ王の子孫のヨセフとマリアがイエスの誕生前にどこに住んでいたかを明記していない。ただベツレヘムでイエスが生まれ、家(馬小屋ではない)に中にいる時に東方の博士たちの訪問を受け、そしてヘロデ王の死の手から逃げるために主の使いの命令に従ってエジプトに避難し、ヘロデ王が死んで息子アラケオがユダヤを治めるようになった段階で、ユダヤのベツレヘムではなく、ガリラヤのナザレの町に移住した、と啓示されている。つまりベツレヘムに戻るつもりだったが、アラケオを恐れ、また夢を通して神に語られたので、遠く離れたガリラヤのナザレに避難したということである。

 ここで数々の疑問が生じてくる。

  • もし『ルカによる福音書』にあるように、ヨセフもマリヤもナザレ村の出身で、ベツレヘムには人口調査の登録のために一時的に行っただけならば、なぜエジプトから戻った時、ベツレヘムに戻ろうとしたのか。夢の中で御告げを聞いてガリラヤに戻ったということは、その前にはベツレヘムに戻ろうと考えていたことを暗示していないだろうか。

ルカ1:26,27

26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

27 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。 

ルカ2:1-7

1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。

3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

  •  イスラエルの民という、家系や血のつながりを非常に重要視する環境において、ダビデの町ベツレヘムにはヨセフとマリヤ双方の親族が少なからずいたはずである。しかしそれらの親族は、臨月のマリヤ、しかもガリラヤ地方から約130kmの旅路を遥々やってきた妊婦に対して、当時に通常になされていた対応を全くしていない。旅人を受け入れ、もてなすことは当時の慣習において「聖なる義務」であったことを考えると、出産したばかり親族の一人を客間に迎え入れる余裕さえもない親族関係の中に戻って生活しようとするのはとても不思議な選択ではないだろうか。当時ダビデの子孫は相当の数いたはずだから、人口調査の登録期間の間にその子孫たちが一同集まっていたとすると、ベツレヘムにはヨセフとマリヤを受け入れる場所がなかったとも推測できる。それでも臨月を迎えていた妊婦を特別に優先しなかったことを、メシアの苦難の人生の暗示と捉えるべきだろうか。
  • 主の御使いがヨセフとマリヤに「ヘロデ王から逃れて、エジプトへ避難しなさい」と告げた時、彼らはその言葉に従って「夜」旅立った。出産したばかりの十代の母親が新生児を抱えて約400kmの旅をしなければいけないのに、「夜」旅立たなければいけなかったということは、ヘロデ王の迫害は相当に緊迫した事態だったと考えられる。しかし『ルカによる福音書』によると、マリヤは律法に従って三十三日間の清めの期間後、その「恐るべき」ヘロデ王がいたエルサレムに平然と上っているのである。

マタイ2:13-15

13 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。

14 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、

15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。 

ルカ2:22-24

22 それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。

23 それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、

24 また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。 

レビ記12:2-5

2 「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。

3 八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。

4 その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。

5 もし女の子を産めば、二週間、月のさわりと同じように汚れる。その女はなお、血の清めに六十六日を経なければならない。 

 しかもその時、ちょうど神の宮にいた二人の老人シメオンとアンナは、聖霊によって幼子イエスが「神の救い」、つまりメシヤであることを公に証しているのである。

ルカ2:27-32;36-38

27 この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、

28 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、

29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます、

30 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。

31 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、

32 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。 

36 また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、

37 その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。

38 この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。 

 しかし、清めの儀式のために迫害者ヘロデ王のいるエルサレムに行くという、人間的には理解し難いヨセフとマリヤの行動も、旧約聖書のエピソードに照らし合わせてみると、全能の神の導きにおいては十分にあり得るものだということがわかる。例えば、へブル人の新生児を全て抹殺するように命令したエジプトのファラオ王の娘によって育てられたモーセのエピソードである。

出エジプト1:15-22;2:1-10

15 またエジプトの王は、ヘブルの女のために取上げをする助産婦でひとりは名をシフラといい、他のひとりは名をプアという者にさとして、

16 言った、「ヘブルの女のために助産をするとき、産み台の上を見て、もし男の子ならばそれを殺し、女の子ならば生かしておきなさい」。

17 しかし助産婦たちは神をおそれ、エジプトの王が彼らに命じたようにはせず、男の子を生かしておいた。

18 エジプトの王は助産婦たちを召して言った、「あなたがたはなぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか」。

19 助産婦たちはパロに言った、「ヘブルの女はエジプトの女とは違い、彼女たちは健やかで助産婦が行く前に産んでしまいます」。

20 それで神は助産婦たちに恵みをほどこされた。そして民はふえ、非常に強くなった。

21 助産婦たちは神をおそれたので、神は彼女たちの家を栄えさせられた。

22 そこでパロはそのすべての民に命じて言った、「ヘブルびとに男の子が生れたならば、みなナイル川に投げこめ。しかし女の子はみな生かしておけ」。 

2:1-10

1 さて、レビの家のひとりの人が行ってレビの娘をめとった。

2 女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月のあいだ隠していた。

3 しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。

4 その姉は、彼がどうされるかを知ろうと、遠く離れて立っていた。

5 ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、

6 あけて見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」。

7 そのとき幼な子の姉はパロの娘に言った、「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」。

8 パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。

9 パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。女はその子を引き取って、これに乳を与えた。

10 その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。そして彼はその子となった。彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。 

 また預言者エリヤが、三年半も続いた干ばつによって激しい飢饉に打たれていたイスラエルの土地から身を守るため、主なる神によって導かれて避難していたシドンのザレパテは、エリヤを敵視し迫害していたアハブ王の妻イゼベルの父の王国であった。

Ⅰ列王17:8-9

8 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、

9 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。

 このように神は、御自身に敵対する者や御自身の民を迫害する者の「ふところ」に御自身の僕を遣わし、その栄光を顕すことを厭わない方である。その最も顕著な例は、愛する御子を神の御心に背き続ける罪深い地上に遣わし、しかも無防備な赤ん坊として生まれ、無抵抗な「神の子羊」として十字架の死による贖いの計画を成就したことに、完全に顕れている。

 

追記(2016年12月24日)

マタイ2:1-16

1 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

2 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

3 ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。

4 そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。

5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、

6 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き

8 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。

9 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。

10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。

11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

12 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

13 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。

14 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、

15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。

16 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。

 マタイによる福音書を読んでいて、もう一つの解釈の可能性を示されたので共有してみたい。

 まず東方の博士たちが星の出現を見てから、エルサレムに行きヘロデ王に会い、そしてベツレヘムにいた幼子イエスを拝み、そしてヘロデ王の所へ戻らずに自国を戻った時間に関して、ヘロデ王は「博士たちから確かめた時に基づいて」約2年以内と判断したことである。だからこそヘロデはベツレヘム村とその周辺の地方の二歳以下の男子を抹殺するように命じたのである。

 もし星が出現した時から博士たちの訪問を受けた時までが数か月程度であったら、抹殺の対象は新生児もしくは一歳以下の男子となっていたはずだからである。

 ということは、ヨセフとマリアが幼子を連れてエジプトへ身を隠したのは、御子イエスが誕生して33日経った以降、彼らが宮参りにエルサレムを行った大分後のことになる。この解釈ならば、彼らがエルサレムにいたヘロデ王のことを恐れずに宮参りしたことに筋道がたつ。

 そしてマリアが産後すぐに長距離の旅行を強いられなかったことにもなるし、しばらくエルサレムに近いベツレヘムで生活していたので、博士たちが訪問した時に「家の中」にいたことも説明がつく。

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 そしてこの解釈の時系列に従えば、ヘロデ王やエルサレムの人々が博士たちに知らせに不安を感じたという記述は、エルサレムの宮におけるシメオンや預言者アンナの「メシアの誕生」の証しがすぐに忘れられてしまったか、人々には受け入れられなかったことを暗示している。

 

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