an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(35)イシマエルとイサクを神に委ねたアブラハム

創世記21:9-21

9 サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、

10 アブラハムに言った、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」。

11 この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。

12 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。

13 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。

14 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。

15 やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、

16 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。

17 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。

18 立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。

19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。

20 神はわらべと共にいまし、わらべは成長した。彼は荒野に住んで弓を射る者となった。

21 彼はパランの荒野に住んだ。母は彼のためにエジプトの国から妻を迎えた。 

 このエピソードにおいても、アブラハムの主なる神に対する従順な信仰が光り輝いている。イシマエルは正妻サラの子ではないと言え、アブラハムにとっては自分の子であることには変わりなく、妻サラの「このはしためとその子を追い出してください」という言葉は、彼の胸に突き刺さるようなものであったろう。その心情に関して、新共同訳と新改訳はより切実な言葉を使っている。

(新共同訳)このことはアブラハムを非常に苦しめた。

(新改訳)アブラハムは、非常に悩んだ。

 それでもアブラハムは「サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい」という主の命令を受け入れ、反論せずにすぐ実行した。

そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。

  これは何年か後に、主なる神がイサクを捧げるように命令したときの態度と共通する。

創世記22:1-3

1 これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。

2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。 

 「イシマエルを追い出しなさい」と命令した神は、唯一の残されていた「イサクを燔祭として捧げなさい」と命令したのである。親にとってこれ以上不合理で厳しい要求は存在しない。しかしアブラハムは神の命令に無言で従ったのである。

 この親としてのアブラハムの言い表し難い苦悩と純粋な信仰は、父なる神が人類を罪の滅びから救うため、愛する独り子イエス・キリストを地上に送り、十字架の呪いの死を通るという計画を実現したことを完璧に予示している。飢え渇き、弱り果てて泣く自分の子から、「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言ってアガルが「矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった」ように、御子イエスが十字架の上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫んだ時、父なる神はそこにいて御子と共に苦しまれたのである。

 またアブラハムの二人の子、「荒野を彷徨うイシマエル」と「燔祭として捧げられるイサク」は、もう一つの面で神が御子によって実現した贖罪の計画を予示している。贖罪のための二頭のヤギである。その一頭は罪祭として屠られ、大祭司はその血を民の罪の贖いのために至聖所に携えて入ったが、もう一頭のヤギ『アザエル(「遠ざける、引き離す」という動詞から派生する言葉)』は、イスラエルの民のもろもろの悪を担って、人里離れた荒野に送らなければいけなかった。

レビ記16:1-24

1 アロンのふたりの子が、主の前に近づいて死んだ後、

2 主はモーセに言われた、「あなたの兄弟アロンに告げて、彼が時をわかたず、垂幕の内なる聖所に入り、箱の上なる贖罪所の前に行かぬようにさせなさい。彼が死を免れるためである。なぜなら、わたしは雲の中にあって贖罪所の上に現れるからである。
3 アロンが聖所に、はいるには、次のようにしなければならない。すなわち雄の子牛を罪祭のために取り、雄羊を燔祭のために取り、
4 聖なる亜麻布の服を着、亜麻布のももひきをその身にまとい、亜麻布の帯をしめ、亜麻布の帽子をかぶらなければならない。これらは聖なる衣服である。彼は水に身をすすいで、これを着なければならない。
5 またイスラエルの人々の会衆から雄やぎ二頭を罪祭のために取り、雄羊一頭を燔祭のために取らなければならない。
6 そしてアロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。
7 アロンはまた二頭のやぎを取り、それを会見の幕屋の入口で主の前に立たせ、
8 その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。
9 そしてアロンは主のためのくじに当ったやぎをささげて、これを罪祭としなければならない。
10 しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。
11 すなわち、アロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。彼は自分のための罪祭の雄牛をほふり、
12 主の前の祭壇から炭火を満たした香炉と、細かくひいた香ばしい薫香を両手いっぱい取って、これを垂幕の内に携え入り、
13 主の前で薫香をその火にくべ、薫香の雲に、あかしの箱の上なる贖罪所をおおわせなければならない。こうして、彼は死を免れるであろう。
14 彼はまたその雄牛の血を取り、指をもってこれを贖罪所の東の面に注ぎ、また指をもってその血を贖罪所の前に、七たび注がなければならない。
15 また民のための罪祭のやぎをほふり、その血を垂幕の内に携え入り、その血をかの雄牛の血のように、贖罪所の上と、贖罪所の前に注ぎ、
16 イスラエルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪のゆえに、聖所のためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない。
17 彼が聖所であがないをするために、はいった時は、自分と自分の家族と、イスラエルの全会衆とのために、あがないをなし終えて出るまで、だれも会見の幕屋の内にいてはならない。
18 そして彼は主の前の祭壇のもとに出てきて、これがために、あがないをしなければならない、すなわち、かの雄牛の血と、やぎの血とを取って祭壇の四すみの角につけ、
19 また指をもって七たびその血をその上に注ぎ、イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない。
20 こうして聖所と会見の幕屋と祭壇とのために、あがないをなし終えたとき、かの生きているやぎを引いてこなければならない。
21 そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、

22 こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、人里離れた地に行くであろう。すなわち、そのやぎを荒野に送らなければならない。 

 主なる神がこの律法を伝えたのは、大祭司アロンが長男ナダブと次男アビフを彼らの不遜の罪で失ったことを黙って受け入れた直後であることは、大変意味深い。

レビ記10:1-3

1 さてアロンの子ナダブとアビフとは、おのおのその香炉を取って火をこれに入れ、薫香をその上に盛って、異火を主の前にささげた。これは主の命令に反することであったので、

2 主の前から火が出て彼らを焼き滅ぼし、彼らは主の前に死んだ。

3 その時モーセはアロンに言った、「主は、こう仰せられた。すなわち『わたしは、わたしに近づく者のうちに、わたしの聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現すであろう』」。アロンは黙していた。

 このイシマエルとイサクのエピソードは、アブラハムがなぜ「神の友」と呼ばれているのか、その理由を端的に説明するものである。

ヤコブ2:23

こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。