an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

憎しみの種

マタイ21:1-14

1 イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。

2 そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。

3 またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。

4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。

5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。

6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。

7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。

8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。

9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。

10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。

11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。

12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。

13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。 

  イエス・キリストの再臨や世の終わりに関して、「いつ」「どんな前兆」を聞いた弟子達に対して、イエス・キリストはまず、

「人に惑わされないように気をつけなさい」

「注意していなさい、あわててはいけない」

と答えられた。

 これらの心の姿勢は、終わりの時に生きる私たちにとって非常に重要なものである。なぜなら、実際に様々な前兆が起こり、多くの人々が「困難から救ってくれる救い主」を名乗り、人々を説得し、惑わすからである。

 さらに終わりの時の特徴としてイエス・キリストが語っている本質的な点で、特に重要なものが啓示されている。あらゆる戦争と敵対の根源である、「憎しみ」である。不法が蔓延り、信頼は損なわれ、不信は無理解と無関心を生み出し、これらの要素が増幅することで「憎しみ」に至る。

 信仰者が気をつけなければいけないことは、不可避的に起きる終わりの時の前兆についてではなく、この「憎しみ」の種が心の中に撒かれることによって、聖霊によって注がれたキリストの愛(神に対する愛であり、隣人に対する愛でもある)が損なわれてしまうことである。

 事象や報道機関からの情報、「専門家」の言葉を、そのまま早急に受け入れてはならない。省察と祈りのフィルターを通ってない意見は、私達と周りに生きる人の心に肉的な正義感を呼び起こす。そしてこの正義感は、特定の政治国家や権勢に偏向する傾向がある。

 惑わしと混乱の世界に生きるキリスト者は、今一度、使徒パウロが啓示している十字架の奥義に関して、聖霊の光を必要としている。

ガラテヤ6:14

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。 

 信仰者は信頼している人々から裏切られ、憎まれるかもしれない。それでも、「互に裏切り、憎み合う」ようには召されていないのである。

 「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。