an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

信じる者の心を扇動し、自由を奪う教え(3)

ガラテヤ5:9-12

9 少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる。 

10 あなたがたはいささかもわたしと違った思いをいだくことはないと、主にあって信頼している。しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、さばきを受けるであろう。 

11 兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。 

12 あなたがたの煽動者どもは、自ら不具になるがよかろう。

 古代イスラエルにおいて、パン種(酵母)は、前回のパン生地を作る際に一部分けておいた、塩が入っていないパン生地を、発酵するまで置いて保存したものであった。そのパン種をパン生地の中に混ぜ、焼いてパンを作っていた。

 パン種は、悪や罪深い性質のシンボルとして扱われていた。実際、過越の祭りのときや除酵祭のときには、イスラエルの土地から全てのパン種を取り除かねばならなかった。

出エジプト13:6,7

6 七日のあいだ種入れぬパンを食べ、七日目には主に祭をしなければならない。

7 種入れぬパンを七日のあいだ食べなければならない。種を入れたパンをあなたの所に置いてはならない。また、あなたの地区のどこでも、あなたの所にパン種を置いてはならない。 

 新約聖書においても、このパン種の「内側から腐敗をもたらす存在」としてのシンボリズムが使われている。

マタイ16:6,12

6 そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。 

12 そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。 

マルコ8:15

そのとき、イエスは彼らを戒めて、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」と言われた。

 そして冒頭で引用したように、使徒パウロもイエス・キリストの教えを手紙の中に繰り返し書き記している。

ガラテヤ5:9

少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる。 

Ⅰコリント5:6-8

6 あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。 

7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。

8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。 

 「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ」。キリストの十字架の死と復活に対する信仰によって、全て信じる者は、心の包皮が取り除かれ、霊による心の割礼を受けたように、古いパン種や悪意と邪悪とのパン種も同じように取り除かれ、「パン種のない純粋で真実のパン」となったのである。

 全ての差別や障壁は、キリストにあって取り除かれ、キリストにあって純粋に一つとなったのである。

ガラテヤ3:26-28

26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。 

27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。 

28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。 

コロサイ3:9-11

9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、 

10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。 

11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。 

 「割礼と無割礼」「男も女もない」(ジェンダー・フリー論を語っているのではない!)と、差別が排除されたことが明確に啓示されている。

 以前知りあったある牧師から聞いた話だが、ある教会の二人の姉妹が様々な理由で絶えず仲違いしていた。激しい口論になることもしばしばで、牧師も手を焼いていたらしい。ちょうどその時期、牧師は聖書勉強会で、有名な「ダビデとゴリアテの戦い」をテーマに聖書研究をシリーズで信徒たちと分ち合っていた。ある時、また二人の姉妹が口論になり、一人の姉妹はもう一人の姉妹に向かって、少年ダビデがゴリアテを侮蔑して言ったように、声を上げて叫んだ。「無割礼のペリシテ人!!!」。

 確かにもし今でも「肉による割礼」が有効ならば、「キリストにあって男と女の差別がなくなった」という真理は不完全な偽善でしかないだろう。

 ちょうどパン種が、パン生地と外見上見分けがつかないように、信じる者の心を扇動し、自由を奪う教えは、真理のふりをして信徒たちの心の中に入ってこようとする。そして一度入ると、たといそれがほんの僅かであっても、全体にその影響がでてきてしまうのである。

しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、さばきを受けるであろう。
あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。(新共同訳)

 この強烈な裁きの言葉は、「見た目は変わらない」「ほんのわずかな」パン種の重大な危険性を明示しているのである。