an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

自分の影に怯える子供


Una bambina che ha paura dell' ombra

 勿論この女の子は「しつこく付きまとう黒い何か」が、太陽の光に照らされた自分が生み出している影であることを理解していないから怯えているのだが、霊的な次元に適用すると、私たちの在り方と共通する点が少なくない。

 ある場合、私たちは自分に付きまとう「影」ばかり意識し、なぜそのような「影」が見えるのかを理解しないがゆえ、不安に囚われ続けている。為すべき善ができず、成してはならない悪を犯してしまう自分の「影」がうるさく付きまとい、私たちを怯えさせ、失望させる。本当はこうしたい、こうありたい、と心から願っているのに、ふと気づくと、自分がしたくないことしている、あるべき姿からかけ離れた自分の「影」がそこにあるのである。

 その「影」は、私たちの良心が「なすべき善」「あるべき姿」という光によって照らされてできるものである。

 多くの場合、私たちの心はその「影」を見ないで済むために、光から離れ、光を避けようとする。しかし光は様々な機会をとらえ、わずかな隙間からも私たちの心を照らそうとする。しかし頑なになってその光を避ければ避けるほど、人の心は混乱と孤独の暗闇の中へと迷い込み、自分がどこにいるか、何者であるかを見失ってしまうのである。

 しかしもし私たちが光に照らされることから逃げず、むしろ光に目を向け続けるならば、その光はやがて私たちを全方向から照らし、私たちは自分の影に囚われたり、怯えることもなくなるのである。

エペソ5:8-14(新改訳)

8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

9  ・・光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。・・

10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。

11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。

12 なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。

13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。

14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

詩篇36:9(新改訳)

いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。