信仰者の中にあって語る神の霊(3)
マタイ10:20-27
20 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。
21 兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
22 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
23 一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。
24 弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。
25 弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。
26 だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
「神は光であって、神には少しの暗いところもない。」(Ⅰヨハネ1:5b)神の光は、人間が隠していることや人の目には隠れていることにご自身の光を当てる。その光によって明らかにされたものが、光となるためである。勿論、すべてを知り、あらゆる場所に臨在する永遠の神には、「闇」とか「遠すぎて見えない」とか「部分的に隠れてわからない」ということは存在しない。だからこそ、神が隠れていることを顕すとき、それは我々人間のためだといえる。
おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
人間がむきになって隠したり、逆に汗水流して調べても知ることはできないことを、神はご自身の光で表し、そして知らせる。それは人間の努力によるものでなく、神の霊の法則である。
Ⅰコリント4:5
だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。
Ⅰテモテ5:24-25
24 ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人の罪は、あとになってわかって来る。
25 それと同じく、良いわざもすぐ明らかになり、そうならない場合でも、隠れていることはあり得ない。
聖霊はご自身が最も適切だと判断した方法と時に明らかにする。それは御霊による「知識の言」(人間的には知りえない隠れたことを御霊が示す賜物)であったり、「預言の賜物」あるいは目には見えない「霊を見分ける力」による場合もある。
Ⅰコリント12:7-10
7 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
8 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、
9 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、
10 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
そして御霊はそれを「暗やみで話す」かのように、また「耳に囁く」かのように個人的に示すのである。それは自分自身や誰かの罪であったり、もしくは人の目には隠れている特殊な状況かもしれない。いずれにせよ、御霊の導きに従ってそれを明らかにするとき、自分自身のうちで、また御霊の賜物の言葉を聴いた人のうちで、常に明確な作用を生み出すのである。
ある人は預言者ナタンに罪を示されたダビデ王のように、すぐに神の前に悔い改める。
Ⅱサムエル12:7-13
7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。
10 あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
11 主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。
12 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
あるいは神からくる「光の言葉」に反発し、まるで狩猟するものに取り囲まれ捕獲される寸前の獣のように、逃げまどい、吠え叫び、威嚇するのである。だからこそ主イエス・キリストは、ご自身が真理を語っていたことに対して人々から罵られ、嘲られ、侮蔑され、そして十字架に架けられたように、主イエスに従って聖霊の導きにすべてをゆだねようとする信仰者は、必ず同じような扱いを受けるだろうと言っているのである。
弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。
弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。
もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。
もし聖霊に満たされ、聖霊によって語り、聖霊に導かれ働いていた主イエス・キリストが「悪霊のかしらベルゼブル」と呼ばれたのなら、聖霊を与えられているとはいえ未だ地上において不完全なキリスト者は、「なおさら、どんなに(ああ、何と重い言葉だろう)」悪く言われても不思議ではない、そう覚悟しなさい、と忠告しているのである。
信仰者にとって「悪霊のかしら」つまり「サタン、悪魔」と呼ばれることは最悪のことだろうが、主イエスは「私でさえそのように呼ばれたのだから、あなた方はもっと悪く言われても驚くに値しない」と言っているのである。「ひどい悪口を言われるぞ」と言われて、なぜか心に平安が与えられるのだから、やはり主イエスの御言葉は素晴らしい。それはおそらく、主イエスと同じ道を歩いているという喜びからくるのだろうか。
マタイ5:10-12
10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
さらに信仰者にとっての明確な励ましは、同じ文脈において主イエスが何度も繰り返し「恐れるな」と言っていることである。
マタイ10:26-31
26 だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
31 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
だから私たちは人の意見を恐れず、むしろ主なる神の光を畏れて、光の子として彼に心から仕えて行こう。
ピリピ2:12-15
12 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。
13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
14 すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
15 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。
エペソ5:8-14
8 あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――
9 光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――
10 主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
11 実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
12 彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
13 しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
14 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。