an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

門の外にある十字架と墓、そして復活の命

ローマ6:3-6

3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。  

コロサイ2:12

あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。

  主イエス・キリストは、モーセの律法に基づき祭司長や律法学者から「神を冒涜する者」として死罪に定められ、律法によって「木に架けられた者」として十字架の上で死に、律法によって穢れた土地と見なされていた墓に葬られ、その墓は同じ祭司長らの意向によって封印され、誰も近づくことができないように番人によって見張られていた。

マタイ26:63-66

63 しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。

64 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

65 すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。

66 あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは答えて言った、「彼は死に当るものだ」

ガラテヤ3:13

キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。 

民数19:11;16

11 すべて人の死体に触れる者は、七日のあいだ汚れる。

16 つるぎで殺された者、または死んだ者、または人の骨、または墓などに、野外で触れる者は皆、七日のあいだ汚れる。

マタイ27:62-66

62 あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、 

63 「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。

64 ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。

65 ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。

66 そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。

 つまり「キリストの死と埋葬」は、律法に基づいた断罪と呪い、そして穢れであり、地上的宗教と権威によって「終わったこと」「近づいたり、触れてはいけないもの」として封印されたものであった。

 そして信仰者が「彼の死に与り、彼と共に葬られた」ということは、そのような霊的な意味をもつ「キリストの死と埋葬」に与っていることである。 

 しかし実際には多くの場合、信仰者の知識と実生活は、「わたしたちは、この事を知っている」という自覚と、「それとも、あなたがたは知らないのか」という無自覚の間で揺れ動き、十字架の経験よりも、祭司長やパリサイ人らの権威の下に安住することを好んでいる。十字架による真の霊的過ぎ越しよりも、弟子たちさえ感嘆するエルサレムの神殿のおける「過ぎ越しの祭儀」を無意識に好む。

 なぜならゴルゴタの丘と墓には孤独があり、自己の死があるが、エルサレムの神殿には群衆がいて、自己の保証や自己満足があるからである(しかし主の目には、それらは空しいものである)。

 主イエス・キリストの真のいのちが私たちのうちにさらに顕現するために、「門の外」へ出て、主の十字架と埋葬について、聖霊の光と導きを祈り求めていこう。そこにはこの地上的な観点からすると、暗闇と孤独、侮蔑と嘲笑、そして虚無によって冷え切っているかのように思える。しかし祈りの中で静かに主を待てば、復活した主イエスの命が顕れ、不思議な力が与えられるのである。

へブル13:12-14

12 だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。

13 したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。

14 この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。

 

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