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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「神の預言の成就」と「個人の責任」について

聖書による検証 終わりの日の警告 戦争とキリスト者

マタイ18:7

この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 

マタイ26:24-25

24 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。

25 イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。 

 確かに「人の子」主イエス・キリストは、旧約聖書の中に預言されていた通り、民に捨てられ、身代わりとなって死ななければならなかった。神の計画は必ず成就するからである。しかしそれは個人の選択の責任がないことを意味していない(このテーマは、カルヴァン主義の問題点とも関連している)。そうでなかったら、主イエスはイスカリオテのユダに対して、「人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」とは言わなかっただろう。主イエスは確かに裏切られ、十字架につけられなければいけなかった。しかし、実際にその裏切り行為を行ったユダは、「わざわい」なのである。

 終わりの時には、多くの者が「自分はキリストだ」と名乗って人々を惑わすだろうと預言されている。それはすでに現実に起こっているし、これからさらに多くなるだろう。そして信仰者ならば、その現象が預言の成就だと知っているので警戒し、決して追従したり擁護したりはしないだろう。

 同じように、終わりの時には「戦争と戦争のうわさとを聞き」、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり」、「多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合う」と預言されている。そして「それは起こらなければならない」とある。さらに信仰者はキリストの名のゆえに「すべての民に憎まれ」、苦しまされ、殺される、とまで預言されている。 信仰者は、これらのことが全て実際に起こることを知っている。そしてその預言を来たらせる側に立つことを心から恐れ、「最後まで耐え忍び、救われる」ことを選ぶはずである。

マタイ24:4-13

4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。

5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。

6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。

7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。

8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。

9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。

10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。

11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。

12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。

13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

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