an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「人の子の死」と「イスカリオテのユダの死」(1)

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マタイ26:20-25

20 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。

21 そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。

22 弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。

23 イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。

24 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。

25 イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。 

 四書ある福音書の中心的メッセージは、旧約聖書に預言されていた救い主がこの世に生まれ、約三年間の公の宣教活動において数々の力ある働きをし、預言通り、罪の赦しのために苦難を受けて十字架の上で死に、そして復活したことである。各書においてそれぞれ独自の観点と表現方法をもっているが、中心のテーマは「旧約聖書に預言されていたメシアがこの世に到来し、預言通り苦難を受け、そして復活した」というものである。

 使徒パウロもそのテーマを最も重要な使信として受け、そしてそれをそのまま宣べ伝えていたと証している。

Ⅰコリント15:1-5

1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。

2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。

3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、

5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。

 冒頭に引用したマタイのところでも、主イエス・キリストが「(聖書に)書いてある通り」自身の死が成就しつつあることを告げている。

たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。

 そして人の子(メシアの数ある称号のひとつ。ダニエル7:13,14参照)の苦難の預言の成就のプロセスにおいて、実に多くの人間的弱さや罪深さが曝け出された。イエス・キリストが生後四十日経ってから初めてエルサレムの宮参りをしたときのシメオンの預言どおりである。

ルカ2:34

するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。――

 宗教指導者らのイエスに対する激しい憎悪と殺意が曝け出されただけでなく、それまで三年間イエスを師として仰ぎ、すべてを捨てて彼に従い仕えてきた弟子達さえ、イエスが捕らわれたとき彼を見捨てて逃げ出し、十二弟子の中で中心的人物であったペテロにいたっては、三度「イエスのことを知らない」とまで誓ったほどであった。

 しかしこれらの露呈された人間の罪深さのなかで最もおぞましい出来事は、何といっても「イスカリオテのユダの裏切りと自殺」である。イエスも神の計画におけるご自身の死と関連させ、ユダの裏切りについて「わざわいである」と断罪し、ユダについては「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」とまで告げているのである。

たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。

しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。

その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう。

 何ということだろうか。多くの弟子たちの間から、十二人の使徒のひとりとして主イエス・キリストによって特別に選び出され、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威」を授けられ、しかも弟子グループの会計係の奉仕を任されていたイスカリオテのユダが、その裏切りによって「生れなかった方はよかった」ぐらい呪われた忌々しい存在になってしまったのである。

マタイ10:1-4

1 そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。

2 十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、

3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、

4 熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。 

 現代でも、福音宣教で大いに用いられていた牧師や宣教師の不祥事が、多くの魂を傷つけ、真理を求める心に躓きを与え、神の名が彼らの行為によって卑しめられている。しかし、イスカリオテのユダの裏切りは、私たちが見聞きしている不祥事よりも、はるかに衝撃的だったはずである。

 そしてイエス・キリストに裏切りを指摘されたユダは、自分の罪を悔い改めるどころか、逆に過ぎ越しの食事の途中で退席し、イエスを捕らえ、殺そうとしていたユダヤ人指導者の元へ消えていった。

ヨハネ13:21-30

21 イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。

22 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。

23 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。

24 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。

25 その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、

26 イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。

27 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。

28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。

29 ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。

30 ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。 

 ユダが過越の食事の席から立ち去ったことは、非常に重大な行為であった。彼は、イエス・キリストが弟子たちに授けた祝福のパンや契約の杯にも背を向けたことになる。また、モーセの律法の過越の食事の規定の中にあった「ひとりも家の戸の外に出てはならない」(出エジプト12:22)という戒めの霊的意義に対する重大な背きだった。

 「時は夜であった」 その夜、世界が創造される前から計画されていた主なる神の計画が、聖書の預言されていた通り、「人の子」イエス・キリストの身によって、成就の道を進んでいた。「人の子は十字架につけられるために引き渡され」なければならなかった。信じる者に祝福をもたらすために、御子イエスが十字架の上で「呪いの死」を遂げなければいけなかった。

ガラテヤ3:13

キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。

 その夜、当時誰も理解していなかった神の遠大な計画が、御子の呪いの死を通して、成就しつつあった。そして、その成就の過程で、もう一つの「呪いの死」、イエス・キリストのそれとは全く異なる、「裏切り者の呪われた死」が実を結ぼうとしていた。

 

(2)に続く