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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

神のうちに隠されている信仰者の命

キリストにおいて 聖別(キリストとの交わり)

コロサイ3:1-4

1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。

2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。

3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

 時代や文化、人種、生活環境の違いにもかかわらず、すべての人の心の中には、無意味の中に消滅してしまう裸の自分に対する、心の底から湧き上がる焦燥感を持っている。多くの人は、その焦燥感が娯楽や気晴らし、仕事、恋愛、富、社会的成功を追及する「隠れた動機」になっていることに無意識である。何かに真面目に取り組んでも、心の「虚しさ」が消えない。何かを成し遂げても、達成感は束の間で、またすぐ焦燥感が湧き上がってきて喜びを蝕み、奪い去ってしまう。

 イスラエルの王ソロモンは、多くの知恵と富を用いてさまざまな事業を成し遂げたにもかかわらず、晩年に自分の心情をこう書き残した。

伝道1:1-3;12-14

1 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。

2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

3 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。

12 伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。

13 わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。

14 わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。 

 一切は空(くう)、つまり虚しいものであり、すべての努力は「風を追いかけ、捕まえよう」という行為に等しい、と告白しているのである。

 しかし主なる神は、御子イエス・キリストの十字架の死と復活によって、「虚無のスパイラル」に閉じ込められている魂に救いの希望を備えてくださった。だからイエス・キリストを信じ、その福音の力を体験した者に対して、冒頭に引用した聖句のように、聖書は全く新しい「前提」「動機」と「探求の対象」、その探求の成果に関する「時」について啓示しているのである。

  • 探求の前提:「あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。」 何という強烈な啓示だろうか。地上に生きている信仰者はキリストと共に十字架にかけられ死に、その死は過去のものであり、現在、信仰者の命は、キリストと共に神のうちに「隠されている」というのである。見ることができない神のうちに隠されているものが、現在、目に見える形で顕れていると思うことは間違えている。
  • 探求の動機:「あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから」。キリストと共に霊的な復活の命に生きている信徒は、古い自分の地上的自己実現を求めない。

ローマ6:3-5

3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。 

  • 探求の対象:「上にあるものを求めなさい」「あなたがたは上にあるものを思うべきであって」。上にあるものであって、下にあるもの、つまり地上的な要素ではない。

  • 探求の場所:「キリストが神の右に座しておられる天」に求める。信仰者の探求は、抽象的で曖昧な概念の霧の中で行うものではなく、「神の座の右にいる屠られたとように見える神の子羊」の御前で行うものである。

黙示5:6-10

6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。

7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。

8 巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。 

9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、

10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。 

  • 探求の成果に関する「時」:「私たちの命なるキリストが顕れる時」。物質的・精神的な投資の結果を、より短時間で、より「効率的」に獲得することを要求する時代に生きる信仰者にとって、この点は非常に切実な問題である。祈りや伝道活動、慈善活動の成果がより短時間に見える形で顕れることが、神の祝福のしるしのように捉える信仰者は少なくない。また、「教会員を増やし、大きな教会堂を建てる」「信仰によって地上的自己実現のビジョンをもち、社会の中でより大きなインパクトのある存在をアピールする」などの大義を掲げるが、今現在、信仰者の命は神のうちに隠されており、その命の顕現は、つまり信仰者として地上に生きるという「霊的投資」の成果は、あくまで「私たちのいのちなるキリストが現れる時」に顕れることを決して見失ってはならないのである。

 信仰者が詩篇記者アサフのように、この世の成功者の成し遂げたことと自分を比較して、嫉妬や妬み、そして失望に襲われることもある。

詩篇73:1-3

1 アサフの歌 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。

2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。 

3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。 

 そのような時、冒頭に引用した聖句の啓示が、「信仰者は何者か」「本来求めるべきものを求める」「神のみ旨の実現の時をまつこと」を教えてくれるのである。

 

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