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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(36)迫害する者さえも見捨てない神

生けるキリストを求めて(旧約聖書の中のキリスト)

創世記21:9,10

9 サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、

10 アブラハムに言った、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」。 

 九節で「遊ぶ」と和訳されている原語は、「צחק tsâchaq」で純粋な遊びというニュアンスよりももっと悪質な意味を含んでいる場合にも使われている言葉である。例えば、エジプトに奴隷として売り飛ばされたヨセフが主人の妻から不倫の誘惑を受けた時、ヨセフは必死になって逃げたが、そのヨセフの拒否に腹を立てた女主人は、ヨセフが自分と「戯れようとした」と濡れ衣を着せようとした。

創世記39:14

その家の者どもを呼び、彼らに告げて言った、「主人がわたしたちの所に連れてきたヘブルびとは、わたしたちに戯れます。彼はわたしと寝ようとして、わたしの所にはいったので、わたしは大声で叫びました。

 また列王記下2:23においては「あざける」と和訳されている。ゆえにイシマエルが行った行為は、一般的に起こり得るように十七歳の男の子が二歳の異母兄弟をかまって「遊んだ」「からかった」というよりも、何かもっと悪意のある行為であったごとが推測できる。実際、新約聖書において使徒パウロは、このイシマエルがイサクに対して行った行為を、「迫害」と解釈している。

ガラテヤ4:28-30

28 兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子である。

29 しかし、その当時、肉によって生れた者が、霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様である。

30 しかし、聖書はなんと言っているか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とある。 

 もしそのような重大な事態でなかったら、サラは自分の子を守るためにイシマエルとその母ハガルを追い出そうとはしなかっただろう。少なくとも共存があり得なくなるほど、その「遊び」は悪質であり、イサクの健全な成長を脅かす行為だったのである。

 しかしそのようなイシマエルさえも、主なる神は決して見捨てなかった。神は荒野においてイシマエルの苦しみの叫び声を聞き、主の使い(これも受肉前の御子の顕現である)を遣わし、イシマエルの祝福を約束し、命を救い、彼の成長と共におられた。

創世記21:14-20

14 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。

15 やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、

16 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。

17 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。

18 立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。

19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。

20 神はわらべと共にいまし、わらべは成長した。彼は荒野に住んで弓を射る者となった。

 こうして旧約聖書で啓示されている神は、御子イエス・キリストが啓示する父なる神と同じであり、悪人や迫害する者にも憐み深く、罪びとを愛し、その魂の渇きを癒やすために愛する御子を人として遣わし、罪人の代わりに十字架の死を味わうことによって救うことを選ばれた完全の方であることが証明されているのである。

マタイ5:43-48

43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

46 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

47 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

 そしてその天の父の完全な愛は、十字架の上の御子イエス・キリストによって完全に啓示されているのである。

ルカ23:34-37

34 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。

35 民衆は立って見ていた。役人たちもあざ笑って言った、「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」。

36 兵卒どももイエスをののしり、近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、

37 「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」。 

ローマ5:6-8

6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 

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