an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

十字架の福音

Ⅱコリント1:8-10

8 兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、 

9 心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。 

10 神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。  

 九節はとても意味深い。原語では日本語訳のニュアンス「心のうちで死を覚悟し」よりさらに能動的で、「死の宣告を自分自身に下していた」という意味である。そして「宣告」という言葉は、まさに法的裁定を表している。そして後半は「死の宣告」の結果というより理由や目的を表している。そのようなニュアンスで解釈すると、この節における塚本訳は優れていると思う。

Ⅱコリント1:9(塚本訳)

ほんとうに、自分ではもはや自分に死の宣告を下していたのだ。これはわたし達が自分にたよるのではなく、死人を(も)生きかえらせる神にたよるためであった。

 非常にアクティブである。極度の艱難に絶望し、気力をすっかり失って生きるのをあきらめているという状態から、「もう一歩踏み込んだ」心境を表しているのだ。これはまさにイエス・キリストの復活を信じる信仰の本質であり、力である。

 使徒パウロは、この真理に生き、コリント人への手紙の中で繰り返し啓示した。

Ⅱコリント4:10-12

10 いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 

11 わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。 

12 こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。 

 Ⅱコリント12:7-10

7 そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 

8 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 

9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 

10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 

 信仰者も厳しい状況に陥り、あきらめかけたり、落胆することは何度もある。しかし、そこにキリストの死と復活の力が働きかけるのである。悪あがきでもなく、あきらめでもない。自分がキリストの死によって十字架につけられ死に(上記の「死の宣告」を思い出してほしい)、キリストが復活したようにキリストの命によって生きているという真理を「心で」信じるのである。

 この信仰に特別な努力は必要ない。そのまま真理を受け入れればいいのである。その時、イエス・キリストの復活の命がその人の心に人知を超えて働くのである。このような生き方が、「日々自分の十字架を負ってキリストに従う」生き方である。

ルカ9:23,24

23 それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 

24 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。 

 十字架を負うことによってのみ、自己否定の縄目で身動き取れなってしまう状態や、自己憐憫、他人への責任転嫁などの罠から私達の魂を守ることができるのである。

 「成功の福音」や「繁栄の福音」を声高らかに説いていた教会や説教者のスキャンダルが次々と噴出している。心から信頼し従っていた人々で、傷つき、混乱し、躓いている人が大勢いる。これらの「異なる福音」を説いていた張本人らは、信徒達の不信仰を嘆いたり、サタンの誘惑だと言って責任逃れをして、傷ついた心にさらに重荷を負わせている。行き場のない心の思いをどこへ持っていき、誰にぶつければいいのだろうか。

 今でもイエス・キリストは腕を拡げて待っておられる。「異なる福音」を説いていた者たちから遠く離れたゴルゴタの丘で。

マタイ11:28-30

28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 

29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 

30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。