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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

『ローマびとへの手紙』(37)キリストの死による贖罪

ローマ4:25

主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。  

 「罪過」と和訳されている原語「παράπτωμα paraptōma」は、「παραπίπτω parapiptō (信仰から)離れる、(信仰を)捨てる」という単語から派生した語で、
「逸脱、違反、罪、間違い、気分を害すること、侮辱」などの意味を持つ。

 世界的に著名な神学者たちがいくら否定的な意見を述べようが、聖書の啓示は明らかである。主イエス・キリストの十字架の死は、私たち罪びとの神聖な神に対する罪が原因だったのであり、その私たちの罪を取り除く目的のための死だったのである。

Ⅰヨハネ3:4-5(新共同訳)

4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。

5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。

 キリストの十字架に敵対する神学者たちや「耳障りのいい話や作り話を好む教師たち」(Ⅱテモテ4:3)は、聖書の中で何度も繰り返し語られている「贖罪」について人々に根気よく説き明かす代わりに、「難解で無用な神学用語」として片隅に寄せようとする。

 しかしイエス・キリストの十字架の死による贖罪は、神の啓示の核心であり、福音そのものである。

ヨハネ12:32-33

32 そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」。

33 イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになったのである。 

Ⅰコリント1:21-24

21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。

22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。

23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、

24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。 

Ⅰコリント2:1-2

1 兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。

2 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。