an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

最大の奇蹟

ヨハネ20:30,31 

30  イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。 

31  しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

 この聖句は、ヨハネによる福音書に記述された数々の「しるし」、いわゆる奇蹟が、どんな目的で書かれたのかが、はっきりと示されている。つまり、読者一人ひとりが「イエスは神の子キリストであると信じるため」であり、信じたものが「イエスの名によって命を得るため」である。ぶれや曖昧さの全くない、神の目的である。

 さらに意味深いのは、この聖句が「復活したイエス・キリストの顕現」という文脈に置かれていることである。まずマグダラのマリヤに対する顕現(20:11-18)、次にユダヤ人たちを恐れ、部屋の中に隠れていた弟子たちに対する顕現(20:19-23)、八日後に失望していたトマスに対する顕現(20:24-29)、そしてこの聖句を挟んで、二十一章にはテベリヤの湖畔で復活したイエス・キリストが、シモン・ペテロ、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちにご自身を顕示する場面が記述されている(21:1-14)。

 特に感動するのが、主イエスのことを三度知らないと言って否定したペテロを、復活したイエス・キリストが立ち直らせるシーンである。三度目の顕現(14節)で、三度「あなたは私を愛するか」と聞き、三度イエスを否定したペテロを立ち直らせた。

 このように、冒頭の聖句はキリストの復活の顕現の文脈の中に配置されている。それは、人間にとって「最大の奇蹟」とは、イエス・キリストの復活であり、その復活したキリストが罪びとにご自身を啓示してくださり、信仰を与えてくださることであることを教えているのだ。

 いつの時代も同じで、非常に多くの人々が、奇蹟や超自然現象など魅かれ、振り回されてしまっている。勿論、私は神の特別なしるしを信じるし、色々な経験もしてきた。しかし、終わりの日には、アンチキリストによってあらゆる偽りの力、しるし、不思議が伴う悪の欺きが行われる、と預言されている(Ⅱテサロニケ2:9,10、マルコ13:22)。今の時が、そのような邪悪な時代へとさらに吸い込まれていっているからこそ、ひたすら救いの岩を見続けていなければ、簡単に飲み込まれてしまうだろう。

マタイ12:38-41

38  そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。 

39  すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。 

40  すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。 

41  ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。 

 しるしを求める邪悪で不義な時代にあって、まだ復活したイエス・キリストに出会うことができる。しかし、その神の恵みの扉が、やがて閉じられる時が来る。

 あなたは、もう復活した主イエス・キリストに出会っただろうか。もう扉の中に入っているだろうか。