ペテロの心の夜明け
ルカ22:60-62
60 ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
61 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
62 そして外へ出て、激しく泣いた。
鶏の目が暗闇のなかに朝日の微かな光を感じ取った時、ペテロの時間は闇の中で止まってしまった。主イエスの復活の朝の光が、空虚な墓を照らしても、ペテロの心からは完全にこの闇を拭い去ることはできなかった(ヨハネ20:1-10)。
恐れによって固く閉ざされた部屋の中で、他の弟子たちと共に復活したイエス・キリストを見て喜んだが(ヨハネ20:19-23)、ペテロの心の時間は止まったままであった。
八日後、また弟子たちは同じ場所に同じように閉じこもっていたところ、主はトマスに話しかけられた。いつでも誰よりも真っ先に主と話していたペテロが、この機会にも口を開いていない。逆に彼は思ったのではないだろうか、「なぜ、主は私には話しかけてくれないのだろう。なぜ、トマスの不信仰を叱ったように、私を叱ってくれないのだろう。私は『わたしはその人を知らない』と言って、否定したのだ。もしかしたら、主はまだ私のことを完全には赦してくれてはいないのかもしれない」と。
そんなペテロを主イエスは愛しておられた。ペテロが自分の家のようによく知っているガリラヤ湖のほとりで、ちょうど夜が終わり、朝の光が薄っすらと湖畔を照らし始めるころ、イエスはペテロに向かって三度聞かれた。「わたしを愛するか。」ペテロが三度聞かれたことに心を痛めながらも「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」というのを聞いて、主はペテロに言った。「わたしに従ってきなさい」(ヨハネ21:15-19)。
ペテロの心の時間が再び動き始めた。夜は明け、義の太陽の光が彼の心を照らした。
マラキ4:2
しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。
創世記1:5
夕となり、また朝となった。