ゼカリア6:9-13
9 主の言葉がまたわたしに臨んだ、
10 「バビロンから帰ってきたかの捕囚の中から、ヘルダイ、トビヤおよびエダヤを連れて、その日にゼパニヤの子ヨシヤの家に行き、
11 彼らから金銀を受け取って、一つの冠を造り、それをヨザダクの子である大祭司ヨシュアの頭にかぶらせて、
12 彼に言いなさい、『万軍の主は、こう仰せられる、見よ、その名を枝という人がある。彼は自分の場所で成長して、主の宮を建てる。
13 すなわち彼は主の宮を建て、王としての光栄を帯び、その位に座して治める。その位のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間に平和の一致がある』。
この聖句は、70年間のバビロニア捕囚から帰還した時代(前6~5世紀)に預言者ゼカリヤに託された預言であるが、主イエス・キリストの務めを預言しているものとして、驚異的な内容を啓示している。
主なる神は預言者ゼカリヤに対して、当時の大祭司ヨシュアの頭に金銀でできた冠をかぶらせるように命じ、「枝」という人物がやがて顕れ、彼は主の宮を建て、王の位に座し、かたわらにいる祭司との平和の一致があるというのである。
詩篇32:11-18
11 主はまことをもってダビデに誓われたので、それにそむくことはない。すなわち言われた、「わたしはあなたの身から出た子のひとりを、あなたの位につかせる。
12 もしあなたの子らがわたしの教える契約と、あかしとを守るならば、その子らもまた、とこしえにあなたの位に座するであろう」。
13 主はシオンを選び、それをご自分のすみかにしようと望んで言われた、
14 「これはとこしえにわが安息所である。わたしはこれを望んだゆえ、ここに住む。
15 わたしはシオンの糧食を豊かに祝福し、食物をもってその貧しい者を飽かせる。
16 またわたしはその祭司たちに救を着せる。その聖徒たちは声高らかに喜び呼ばわるであろう。
17 わたしはダビデのためにそこに一つの角をはえさせる。わたしはわが油そそがれた者のために一つのともしびを備えた。
18 わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし彼の上にはその冠が輝くであろう」。
律法にはユダ族から神の民の王が立てられることが約束されていた。また大祭司はレビ族のアロンの子孫でなければいけなかった。つまりそれは、王であり、それと同時に大祭司であることは、律法によればありえなかったことを意味する。
預言者イザヤの時代にユダの王ウジヤは、その「あり得なかったこと」を高ぶりによって実現しようと、主の宮に入り、アロンの子孫にしか許されていなかった聖なる務めである祭壇の上に香を焚こうとした。しかし祭司アザリヤは王を戒め、結局王はらい病になり、幽閉され、そのまま癒されず死ぬことになった。
歴代誌下26:14-21
14 ウジヤはその全軍のために盾、やり、かぶと、よろい、弓および石投げの石を備えた。
15 彼はまたエルサレムで技術者の考案した機械を造って、これをやぐらおよび城壁のすみずみにすえ、これをもって矢および大石を射出した。こうして彼の名声は遠くまで広まった。彼が驚くほど神の助けを得て強くなったからである。
16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。
17 その時、祭司アザリヤは主の祭司である勇士八十人を率いて、彼のあとに従ってはいり、
18 ウジヤ王を引き止めて言った、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません」。
19 するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、らい病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。
20 祭司の長アザリヤおよびすべての祭司たちが彼を見ると、彼の額にらい病が生じていたので、急いで彼をそこから追い出した。彼自身もまた主に撃たれたことを知って、急いで出て行った。
21 ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。その子ヨタムが王の家をつかさどり、国の民を治めた。
しかしここでは大祭司ヨシュアの頭に冠を載せられ、やがて顕れる「枝」という人物によって、その不可能なことが成就することを預言していたのである。
実際、主イエスはユダ族の出身であり、王位に就く血統を持っていたが、レビ族ではなかったので、律法によって大祭司になる資格は持っていなかった。
しかし神の計画は完全であった。御子のためにもう一つの預言が啓示されていたのである。
詩篇110:4
主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、
「あなたはメルキゼデクの位にしたがってとこしえに祭司である」。
このメルキセデク(「わが王は義」という意味)とは、アブラム(アブラハム)が4人の王との戦いに勝って戻った時、アブラムを祝福した人物で、彼はサレム(古代のエルサレムであったと言われている)の王であり、同時にいと高き神の祭司であった。
創世記14:17-20
17 アブラムがケダラオメルとその連合の王たちを撃ち破って帰った時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷に出て彼を迎えた。
18 その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。
19 彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。
20 願わくはあなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。
主なる神はダビデ王が「わが主」と呼ぶ人物に対して、誓いを立てながら「あなたはメルキゼデクの位にしたがってとこしえに祭司である」と宣言しているが、その人物は来るべきメシアである。つまりメシアはメルキセデクが王であると同時に祭司であったように、とこしえに王であり、祭司であることを啓示しているのである。
『へブル人への手紙』がこの啓示を完璧に説き明かしている。
へブル7:1-28
1 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
2 それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
3 彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。
4 そこで、族長のアブラハムが最もよいぶんどり品の十分の一を与えたのだから、この人がどんなにすぐれた人物であったかが、あなたがたにわかるであろう。
5 さて、レビの子のうちで祭司の務をしている者たちは、兄弟である民から、同じくアブラハムの子孫であるにもかかわらず、十分の一を取るように、律法によって命じられている。
6 ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。
7 言うまでもなく、小なる者が大なる者から祝福を受けるのである。
8 その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。
9 そこで、十分の一を受けるべきレビでさえも、アブラハムを通じて十分の一を納めた、と言える。
10 なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはまだこの父祖の腰の中にいたからである。
11 もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったら――民は祭司制の下に律法を与えられたのであるが――なんの必要があって、なお、「アロンに等しい」と呼ばれない、別な「メルキゼデクに等しい」祭司が立てられるのであるか。
12 祭司制に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずである。
13 さて、これらのことは、いまだかつて祭壇に奉仕したことのない、他の部族に関して言われているのである。
14 というのは、わたしたちの主がユダ族の中から出られたことは、明らかであるが、モーセは、この部族について、祭司に関することでは、ひとことも言っていない。
15 そしてこの事は、メルキゼデクと同様な、ほかの祭司が立てられたことによって、ますます明白になる。
16 彼は、肉につける戒めの律法によらないで、朽ちることのないいのちの力によって立てられたのである。
17 それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。
18 このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、
19 (律法は、何事をも全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。
20 その上に、このことは誓いをもってなされた。人々は、誓いをしないで祭司とされるのであるが、
21 この人の場合は、次のような誓いをもってされたのである。すなわち、彼について、こう言われている、「主は誓われたが、心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠に祭司である」。
22 このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。
23 かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。
24 しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。
25 そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
26 このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。
27 彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
28 律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。
「ダビデ王の身から出た」王であり、アロンの位ではなく「メルキセデクの位に等しい」とこしえの大祭司である御子イエスこそ、十字架の死と復活によって「主の宮を建てた」方である。
ヨハネ2:19-21
19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
Ⅰコリント6:19
あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
エペソ2:20-22
20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。
21 このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、
22 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。
次回は「枝」について考察してみたい。
(2)へ続く