ドイツ福音主義教会会議による「ユダヤ人の回心に対する努力の拒絶」宣言について
German Lutheran church: We won’t convert Jews
11月9日、ドイツ福音主義教会会議/The Synod of the Evangelical Church in Germany (EKD)の総会議長イルムガルト・シュヴェッツアー/Irmgard Schwaetzer(写真中央の女性)は、ユダヤ人の回心に対するあらゆる努力を拒絶すると宣言した。
添付したニュースでは「ルター派教会」となっているが、正確にはEKDはルター派教会のほか、改革派教会と合同派教会も加盟しているので、超教派組織による宣言ということになる。2009年のデータでは、ドイツ全人口の約30%の人々が所属しており、ドイツにおけるローマ・カトリック教会の次に多いとあるので、その影響力は決して小さくはないはずである。
記事の終わりに、ドイツのユダヤ中央議会/Central Council of Jews in Germanyがその宣言を歓迎したと記述されている。
先日、マルティン・ルター著の『ユダヤ人と彼らの嘘』を購入して読んでいるところだったので、この宣言には特に驚くことはなかったが、EKDも「福音派」と称している以上、聖書の啓示に準じようという思いもあるはずである。当然、歴史の中で存在した「強制改宗」など福音的観点ではあり得ないことだが、使徒パウロによって告白されている強烈な思いを読むとき、この宣言が非常に政治的打算のように映るのである。
ローマ9:1-3
1 わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。
2 すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。
3 実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。
ローマ10:1
兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。
Ⅰコリント9:19-23
19 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
20 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
21 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
23 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
勿論、私自身、使徒パウロのようにユダヤ人の救いのために命を捧げて尽しているどころか、今までの信仰生活で個人的にユダヤ人に主イエスの証ししたことは数回しかないので偉そうのことは言えないが、それでもパウロの良心に強く訴えかけていた聖霊も、罵るユダヤ人の為に執り成しの祈りをし、彼らのためにも十字架の上で尊き命を捧げた御子イエスの願いも、今でも全く変わっていないと信じる。実際、終わりの時には彼らの多くが御子イエスこそメシアであることを信じ救われるようになるのだから。
黙示録7:3-8
3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
4 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。
5 ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、一万二千人、
6 アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリの部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二千人、
7 シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二千人、
8 ゼブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一万二千人が印をおされた。
黙示録14:1
なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。