an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(49)主人のもとへ急ぐエリエゼル

創世記24:54-59

54 彼と従者たちは飲み食いして宿ったが、あくる朝彼らが起きた時、しもべは言った、「わたしを主人のもとに帰らせてください」。

55 リベカの兄と母とは言った、「娘は数日、少なくとも十日、わたしどもと共にいて、それから行かせましょう」。 

56 しもべは彼らに言った、「主はわたしの道にさいわいを与えられましたから、わたしを引きとめずに、主人のもとに帰らせてください」。

57 彼らは言った、「娘を呼んで聞いてみましょう」。

58 彼らはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。

59 そこで彼らは妹リベカと、そのうばと、アブラハムのしもべと、その従者とを送り去らせた。 

 アブラハムの僕、ダマスコ出身のエリエゼルは、自分に託された任務、つまり主人の息子イサクの花嫁を見つけるために、カナンの地から約四百キロを旅し、神の不思議な導きによって乙女リベカに出会った。

 興味深いことは、彼がリベカのことで確信を得た時、ただちに主人アブラハムの所へ帰ろうとしたことである。聖書の記述からすると、エリエゼルは一泊だけリベカの母と兄の家に泊まり、翌朝には「わたしを主人のもとに帰らせてください」と二度も懇願しているのである。

 飛行機も自動車もない時代の砂漠と荒野の長旅に、エリエゼルは相当疲れていただろう。しかしこの時点で、主なる神の恵みによって見出したイサクの花嫁を、主人アブラハムの所に連れて行き、主人が喜び満足する顔を見ることだけが、エリエゼルの唯一の関心事だったのである。

 もし彼が自分のことを優先にしていたら、間違いなくラバンの所に何日か留まり、十分に体を休め、美味しいものを食べ、「外国の出張先でフリータイムを満喫」しようとしただろう。しかしエリエゼルは、自分を遣わした主人を喜ばすことを最大の目的と喜びとして生きていたのである。

 このエリエゼルの霊は、イエス・キリストが父なる神に遣わされて、地上せ宣教したときの霊に共通するものである。

ヨハネ4:27-36

27 そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。

28 この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、 

29 「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。

30 人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。

31 その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。

32 ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。

33 そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。 

34 イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。

35 あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。

36 刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。

マタイ16:21

この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。

ルカ9:51

さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、 

 また同じ霊によって、使徒パウロは福音宣教のために命を捧げたのである。

使徒20:22-24

22 今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。

23 ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。

24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。