Softly and tenderly Jesus is calling,
Calling for you and for me;
See, on the portals He’s waiting and watching,
Watching for you and for me.
Refrain:
Come home, come home,
You who are weary, come home;
Earnestly, tenderly, Jesus is calling,
Calling, O sinner, come home!
Why should we tarry when Jesus is pleading,
Pleading for you and for me?
Why should we linger and heed not His mercies,
Mercies for you and for me?
Time is now fleeting, the moments are passing,
Passing from you and from me;
Shadows are gathering, deathbeds are coming,
Coming for you and for me.
Oh, for the wonderful love He has promised,
Promised for you and for me!
Though we have sinned, He has mercy and pardon,
Pardon for you and for me.
イタリアに住んでもう二十年以上経ったが、今でも年に一度、東京の実家へ戻るとホッとする。たとい近所の風景は自分の子供の頃の情景とは変わってしまって、殺伐としたマンションばかりになってしまっても、たとい実家に自分の居場所などなくなってしまっても、やはり「自分の育った家」に帰ってきた想いが心を和ませる。
しかし、これが訪れたこともない、全く未知の国だったらそうはいかない。たといそれがどんなに素晴らしい自然に囲まれている素敵な家だったとしても、同じような想いを持つことは不可能であろう。
この心に響く讃美歌の歌詞において、イエス・キリストは弱り果てた罪びとに、優しく、愛情込めて、「Come home!」と呼びかけている。この讃美歌を書いたWill L. Thompsonは、間違いなくルカ十五章にある放蕩息子が父の家に戻るスト―リーにインスピレーションを受けていたのだろう。
しかし殆どの人にとっての問題は、その「Home」がまるで未だかって見たこともない国にある見知らぬ人の家に感じることである。「帰るって、どこに・・・」と思うのである。
しかし、イエス・キリストの優しい呼びかけに偽りはない。まさに私達は「自分の帰るべき所に帰る」のである。正確に言うならば、私達の霊魂は神の霊に導かれて、父なる神のもとへ帰るのである。
神は全ての人間に「霊」を与えた。その霊によって、人間にはその他の動物とは決定的に異なる性質が与えられた。時間や空間を超える「永遠を思う思い」(伝道3:11)が授けられたのである。しかし、罪はその永遠の神の霊から生まれる「永遠を思う思い」を物質的・刹那的生き方の牢獄に閉じ込め、抑え込んでしまった。私達の魂は神の霊との交わりを失うことによって、方向性を失い、地上的な生の中を彷徨うことになった。しかし私達の中に閉じ込められた霊が求めることは、ただ一つ、「父なる神との一つでいること」なのである。
だから、私達罪びとが悔い改め、「主よ、私の魂を清め、受け入れてください」と心から祈るとき、私達の魂はまさに「帰るべき家に帰ることができた」平安に包まれるのである。それは生まれ育った実家に帰った時に経験する安堵感よりも、はるかに深く、愛に満ちた、神との和解である。
Ⅱコリント5:17-21
17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
18 しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。
19 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。
20 神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。
21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
マタイ11:28-30
28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。