an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ハンセン病療養所でみたキリストの御国

 今から十五年以上前、ルーマニアの東部、ウクライナとの国境の近くにあるトゥルチャという小さな町の外れにあるハンセン病療養所に訪問した経験がある。チャウセスク独裁国家の時代には、社会から隔離され、その存在すらも一般に知られていなかった、とルーマニア人の兄弟は話していた。そこには、数人だがキリスト信者がいると聞いていたので、是非訪問したいと考えていた。今思い返すと、とても恥ずかしい動機だが、実際に会って話をし、「何か助けになることができれば」と思っていたのである。

 目の前に現れた人は、子供のときから五十年近くその療養所で過ごし、その大部分が社会や家族から完全に隔離された人生を背負ってきた一人の男性であった。手足の指を失い、彼の顔もその本来の特徴を見分けられる部分は何も残されていなかった。その姿を見て、またその人生の重さを直感し、内からこみあげてくる衝動を抑えることができずに、私は失礼なことにその人の面前で泣いてしまった。しかし彼は優しく私を導き、指の無い自分の手でコツコツ建てたという、本当に小さな礼拝堂に案内してくれた。そこで彼は主キリストによる証しをしてくれ、最後にこう言った。「私の肉体はハンセン病によってこんな状態で、五十年近くにこの施設の中で過ごし、おそらくここで最期を迎えるだろうけれども、私の主イエスに感謝しています。そして、私はこの施設の外にいる、心がハンセン病に侵されてしまっている人々のために、これからも祈っていきます」と。

 

 地上の繁栄という意味では、何も、本当に何一つ、彼は所有していなかった。しかし、あの辺鄙なところにある極めて質素な療養所において、確かにキリストの御国を体現していた。

 

 主の祈りの中にこのような祈りがある。

御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。(マタイ6:10)

 主イエス・キリストは、私たちにもっと御国の美しさを啓示したい、と願っておられる。