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夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

律法学者、弟子、そして主人(1)

マタイ13:51-53

51 あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。 

52 そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。 

53 イエスはこれらの譬を語り終えてから、そこを立ち去られた。 

  主イエス・キリストはこの時、一連の喩え話を語り終え、弟子達が理解したかを確認した後、一つの直喩を語った。「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。新改訳は、イタリア語のNRVやCEI訳、英語のASバージョンと同じように、「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」と訳している。

American Standard Version

13:52 And he said unto them, Therefore every scribe who hath been made a disciple to the kingdom of heaven is like unto a man that is a householder, who bringeth forth out of his treasure things new and old.

  ここには「学者」と「御国の弟子」、そして「一家の主人」という、三つのカテゴリーが使われている。「学者」とは、律法学者のことである。バビロニア捕囚(BC587~538)の際に、エルサレム神殿において務めをすることができない状況にいた祭司階級のレビ人が、律法の研究と筆写に専心したことによって、重要な地位を占めるようになった。旧約聖書において特に重要な律法学者は、『第二のモーセ』と呼ばれたエズラである。

エズラ7:6,10,11

6 このエズラはバビロンから上って来た。彼はイスラエルの神、主がお授けになったモーセの律法に精通した学者であった。その神、主の手が彼の上にあったので、その求めることを王はことごとく許した。 

10 エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた。 

11 主の戒めの言葉、およびイスラエルに賜わった定めに通じた学者で、祭司であるエズラにアルタシャスタ王の与えた手紙の写しは、次のとおりである。 

  しかし新約の時代になると、「律法学者」は「偽善者」のニュアンスを持つようになる。イエス・キリストは彼らの偽善を厳しく糾弾した。マタイ二十三章は特に記されている。

マタイ23:2-7

2 「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。 

3 だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。 

4 また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。 

5 そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、 

6 また、宴会の上座、会堂の上席を好み、 

7 広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。 

  興味深いのは、イエスは律法学者やパリサイ人の不法や偽善を非難しているのであって、「律法学者」というカテゴリーそのものを批判しているわけではないことである。実際、三十四節で、イエスは預言者や知者と共に律法学者を遣わすと言っている。

マタイ23:29-34

29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、 

30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。 

31 このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。 

32 あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。 

33 へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。 

34 それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。 

  だからこそイエスは「天国のことを学んだ学者」「御国の弟子となった学者」と正確に条件を付けたのである。聖書に書かれていることを学ぶことは必要不可欠であるが、それだけではその知識が高ぶりをもたらしてしまうというのが、残念ながら人間の現実である。まずこの地上的・利己的な目的のためでなく、神の国を知るために「弟子」として遜って学び続け、なおかつ神の国のために忠実に実践することが最も重要だと言っているのである。

 そのためには、小グループで『弟子訓練』をすればいいのだろうか。否、「新しく生まれること」と「新しい命に生きること」が神が定めた絶対条件である。

ヨハネ3:1-12

1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。 

2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。 

3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 

4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。 

5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 

6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 

7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。 

8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。 

9 ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。 

10 イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。 

11 よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。 

12 わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。 

 ニコデモは著名な律法の教師でありながら、一応イエスの前で遜り、イエスを「先生」「神からこられた教師」と呼んでいるが、それだけでは天国のことを学ぶことも御国の弟子となることもできないことを主イエスは知っていたので、「新しく生まれなければならない」と宣言したのである。

 このように新生体験を通し、イエス・キリストの復活の命によって生きる人は、聖書の御言葉を求め、時間や空間に制限されない永遠の真理を探究し続け、無意識のうちに「天国のことを学んだ学者」「御国の弟子となった学者」となるのだ。もう罪の奴隷でも自己実現の幻想の囚人でもない。「一家の主人」のようだとイエスは言っている。

)へ続く

 

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