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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

「永遠の神の計画」と「人間から見た時間の概念」

 歴史と時間の相関性を「螺旋構造」と見なす観点は、非常に興味深いと思うと同時に、時空を超えた永遠の霊なる神の観点はどうなんだろう、という思いが私のうちに生じた。

 時間と空間の制限の中に生ける人間から見た「過去」「現在」「未来」を、御子のうちにすべて、そして完全に「保有する」(【保有】自分のものとして持っていること。ここでは、個人的には「統治」というニュアンスもイメージしているが、適正な表現が見つけられないので、とりあえず使っている。)神の観点では、時間は御子における神のわざを構成する要素の一つでしかなく、「推移」よりも「状態」そのものを見ているのではないだろうか。

Ⅱペテロ3:8-14

8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、

12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。

13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 

 つまり永遠の神には、彼にとって「すべての者」が悔い改めに至り、救われ、ご自身のものとなることが目的であり、そのために一日の時間が流れようと、千年、二千年、三千年、と流れようと本質的な違いはなく、その時間の推移による歴史が螺旋運動的に繰り返そうが、またイスラエルの民が一か月もかからない道程を四十年間彷徨うことになったことが示しているように、人間の頑なな心によって何度も何度も繰り返し耐え忍ぶことを強いられようが、「地とその上に造り出されたものが焼き尽くされる」ような、一度しか起こらない出来事を通してだろうが、主なる神が「一心に見つめ続けていること」は、そのご自身の目的の達成なのではないだろうか。

 だからこそ聖霊は、「今」私たちに与えられている恵みを蔑ろにしないよう、また「今日」聞くことが許されている神の御声に対して頑なにならぬよう、御言葉を通して勧告しているのではないだろうか。

Ⅱコリント6:1-2

1 わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。

2 神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

へブル3:13-15

13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。

14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

15 それについて、こう言われている、「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。 

 

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