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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(39)アブラハムの復活信仰

創世記22:1-6

1 これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。

2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

4 三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。

5 そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。

6 アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。  

 神が示したモリヤの地の山が見える場所で、アブラハムが若者たちに言った言葉は、よく読むとアブラハムの強烈な信仰を示している。

わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます。

 日本語では分かり難いが、「帰ってきます」という原語は複数形である。つまりここでアブラハムは、イサクと一緒にモリヤの山へ登り、そこで礼拝、つまりイサクを燔祭として神に捧げた後、またイサクと共にあなたがたの所に戻ってきます、と若者たちに言っているのである。アブラハムはどのような方法でかはわからないが、自分が信じている全能の神が、イサクの命を復活させてくれるはずだ」と宣言しているのである。これはアブラハムが受けていた神の啓示(アブラハムは私達が持っている聖書をもっていなかった!)を考慮すると、本当に驚異的なことである。

 実際、新約聖書にはこのアブラハムの復活信仰に関して明記してある。

へブル11:17-19

17 信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

18 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

19 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 

 また六節にあるように、アブラハムがその唯一の愛する子イサクとモリヤの山に向かって歩いている姿は、父なる神と御子キリストが天地創造の前の永遠の時から、十字架の死による贖罪の計画を「共に歩みながら」進めていたことを予示している。そう、イサクの背中の負われた「燔祭のたきぎ」やアブラハムが手に持っていた「火」と「刃物」、その全てが「イサクの犠牲の死」を予告していたように、父なる神と御子は「共に歩みながら」、聖霊によって数々の預言者達を導き、「御子の十字架の死」を証しし、書物として書き記すよう霊感を与えていたのである。その死の先にある復活と栄光を見つめながら。