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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

自分自身ではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える

聖書による検証 聖別(キリストとの交わり)

ルカ24:25-27;32

25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。

26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。

27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。 

32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。 

  『へブル人への手紙』を再度読み直してみて、このルカの福音書にある聖句を思い出した。復活したイエス・キリストがエマオへの道中で二人の弟子たちにした旧約聖書の説き明かしの内容を想像してしまう程、『へブル人への手紙』の内容は「モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、イエス・キリストについて」様々な観点で記してある。イエスの説き明かしを聞いていた二人の弟子らの心の中のように、この手紙を読んでいると心に熱いものが湧きあがってくる。

 復活したイエス・キリストは、旧約聖書を説き明かし、御自身について語られた。それは、パリサイ人や律法学者に言われてたことと共通する。

ヨハネ5:39,46

39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

46 もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。 

 なぜなら、モーセや預言者たちに霊感を与え、神の啓示を人間の言葉で書き記させた聖霊は、御子を啓示し、御子に栄光を与える霊であるからである。

ヨハネ14:26

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 

ヨハネ15:26

わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。 

ヨハネ16:13-15

13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。

15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。 

  聖霊は、「キリストの言葉を啓示し」「キリストについて証しし」「キリストに栄光を得させる」ために、父なる神と御子イエスからこの世に遣わされたのである。

 だからこそ、聖霊に満たされていた使徒や弟子達は、「イエス・キリスト」を宣べ伝えていたのである。

使徒8:5,12,35

5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。

12 ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。

35 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。 

Ⅱコリント4:5a

しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。

Ⅰコリント1:22-24

22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。

23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、

24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。

  この第一コリントの聖句は興味深い。使徒パウロは、たといユダヤ人が信じるために奇蹟や超自然的現象を要求しようとも、そしてギリシャ人が知恵を通して神を知ろうと求めたとしても、それでも私達はあえて「十字架につけられたキリスト」を宣べ伝える、と宣言しているのである。「キリストを信じている自分自身」でも「キリストの祝福されている教会」でもなく、「キリスト」である。

 恋愛している女性はどんなことを語るだろうか。恋人からもらったプレゼントの数々について自慢し続けるだろうか。彼の家柄、学歴、キャリア、資産・財産・身に着けているものなどの「情報」について話すだろうか。「如何に自分が幸せか」「自分が如何に彼に尽くしているか」を語り続けるだろうか。それとも愛に満たされた心は、「自分の恋人の人格が如何に素晴らしいか」を語るだろうか。

 彼女の「のろけ話」を聞かされている人々は、話の内容ですぐ理解できるのである。彼女の心が、恋をしている自分に陶酔しているだけか、貪欲で抜け目ないものか、それとも純真な愛で恋人自身を慕っているかを。

Ⅰヨハネ1:1-4

1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について―― 

2 このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである―― 

3 すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。 

4 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。