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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

ヤコブの妻レアの人生(7)死、埋葬、そしてメシアの誕生

いにしへからの教訓 試練

 聖書の記述によると、レアはヨセフによってヤコブがエジプトへ移住する前に、カナンの地で死に、アブラハムとサラ、イサクとリベカが葬られたマクペラの墓に、夫ヤコブの手によって葬られたとある。

創世記49:29-33

29 彼はまた彼らに命じて言った、「わたしはわが民に加えられようとしている。あなたがたはヘテびとエフロンの畑にあるほら穴に、わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください。 

30 そのほら穴はカナンの地のマムレの東にあるマクペラの畑にあり、アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買い取り、所有の墓地としたもので、 

31 そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った。 

32 あの畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々から買ったものです」。 

33 こうしてヤコブは子らに命じ終って、足を床におさめ、息絶えて、その民に加えられた。 

 ヤコブは自分が死んだら同じ墓に葬る様、息子ヨセフに命じた。こうしてレアは、墓の中で夫ヤコブと共に眠ることになる。ラケルが生きている間、夫が自分の天幕で共に生活することを熱望していたレアの願いが、このような形で墓の中において実現するとは、何とも切ないものである。

 地上的観点によれば、レアの人生は全く報われない、否、むしろ試練と困難の連続だったと言える。肉体的ハンディキャップに制限され、妹に対する劣等感に悩み、夫の愛情を求めても得られず、多くの子に恵まれながらもその子らによって立て続けに苦しみ、最愛の息子を失い悲しみ沈む夫の顔を見て晩年を過ごし、そして死んでいった。

 主なる神はレアの人生に関心無かったのだろうか。神は不公平な神なのだろうか。否、むしろ義の神はそのようなレアの人生を通して、人類の救いの計画を遂行していた。彼女の四男ユダを通して、この罪の重荷に苦しみ喘ぐ地上にメシアを遣わす計画を備えていたのである。

 メシアの予型、イスラエルの王ダビデの誕生を説明するルツ記の中で、レアの名前が褒め称えられているのは大変興味深い。

ルツ4:11

すると門にいたすべての民と長老たちは言った、「わたしたちは証人です。どうぞ、主があなたの家にはいる女を、イスラエルの家をたてたラケルとレアのふたりのようにされますよう。どうぞ、あなたがエフラタで富を得、ベツレヘムで名を揚げられますように。 

  しかし、レアがこの地上で厳しい人生をおくった時から三千八百年近く後に生きる私達にとって、最も重要な霊的要素は、彼女がアブラハムとサラ、イサクとリベカ、そしてヤコブと共に葬られたこと、そして彼女の子孫からメシアが生まれたことである。彼女は、この地上の人生を信仰によって戦い抜いた人々と共に、同じ場所に葬られた。

 これは、私達がキリストにあって霊的に「葬られる場所」のシンボルである。なぜなら、イエス・キリストを信じる全ての人は、時代や環境の違いを超え、唯一の「場所」にイエス・キリストと共に葬られる霊的経験をするからである。

ローマ6:3,4

3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。 

4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。 

コロサイ2:12

あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。 

 そしてその霊的経験を通った者だけが、イエス・キリストの復活の命に経験するのである。これが、新約聖書が啓示する「新しく生まれる」ことであり、イエス・キリストによる魂の救いは、この経験なくしてはありえないのである。

 しかしもし一人の人間が、このキリストにおける霊的な死と埋葬、そして復活の経験を通ったならば、たといその人の人生がレアの人生のように苦しみの連続であり、不公平に思えるようなものであったとしても、神の愛と恵みの中に生きていることを実感することができるのである。

 もしかしたらレアのように、最も愛を注いでもらいたい人からその愛を受け取ることはないかもしれない。また自分の愛情を注ぎ、大切にしている身近な人から、言い様もない苦しみを受けるかもしれない。あるいは、地上的な報いは何も受けずに人生が終わることもあるかもしれない。それでもその人の心には、イエス・キリストによって最も崇高で純粋で決して変わることのない神の愛が、途切れることなく流れ続ける川のように、豊かに注がれ続けるのである。

ローマ5:1-8

1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。 

2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 

3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 

4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 

5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。 

6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。 

7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。 

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。