an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

悪趣味な「繫栄」


Real Millionaire Preachers of LA Pastors Living Lavishly

 生まれて初めてローマのサン・ピエトロ寺院の中に入った時、その巨大さとバロック様式のおどろおどろしさに圧倒され、どうしたら社会の底辺層からも疎外されていた人々と共に食事を共にしていたイエス・キリストの教えから、このようなものが生まれ得るのか、憤りに近い感情が湧き出てきたことがある(その頃は、まだ救いの経験を受けてはいなかったが・・・)。

 このビデオも、これがもし何か下品なパロディーでないとしたら、これ程キッチュなものを生み出せる信仰観に驚かずにはいられない。これらの「牧師」に従っている信徒たちは、自分たちが汗水流して働いて得、神に捧げた献金が、「牧師」の豪邸や高級車の購入に費やされていることに疑問を持たないのだろうか。「牧師」の悪趣味な「繁栄の夢」を実現するための奴隷に成り下がっていることに気が付かないのだろうか。

 幸いなことに、魂の真の牧者イエス・キリストは、私達に、純粋で真実、高貴で美しく、シンプルかつ深遠なものを御自身のうちに見出す目とそれを愛する心を与えようと全てを備えてくださった。

コロサイ2:3

キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。

コロサイ2:9,10a

9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、 

10 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。

コロサイ3:1-4

1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。 

2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。 

3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。 

4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

 

追記(2014年1月21日)

 私が「悪趣味」だと言っているのは、大理石の家に住むことやフェラーリに乗ることではない(フェラーリやランボルギーニ、マセラ―ティなどは、元々、イタリア、特にエミリア・ロマーニャ州の職人気質と情熱とテクノロジーが生み出した価値観である。ただ、これらの価値観が嫌味なく活かされるコンテクストは極々限られていると思うが)。私の論点は、これらのこの世の価値観を、イエス・キリストの権威や祝福と強引に結び付け、しかもそれを他人の信仰心を利用して獲得しようとする、その下劣で俗悪な欲望を指摘しているのである。