読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

万人救済の福音の検証(4)真理による解放と人の心

ヨハネ8:12-59

12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。 

13 するとパリサイ人たちがイエスに言った、「あなたは、自分のことをあかししている。あなたのあかしは真実ではない」。 

14 イエスは彼らに答えて言われた、「たとい、わたしが自分のことをあかししても、わたしのあかしは真実である。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行くのかを知らない。 

15 あなたがたは肉によって人をさばくが、わたしはだれもさばかない。 

16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒だからである。 

17 あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。 

18 わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである」。 

19 すると、彼らはイエスに言った、「あなたの父はどこにいるのか」。イエスは答えられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたであろう」。 

20 イエスが宮の内で教えていた時、これらの言葉をさいせん箱のそばで語られたのであるが、イエスの時がまだきていなかったので、だれも捕える者がなかった。 

21 さて、また彼らに言われた、「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。そして自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所には、あなたがたは来ることができない」。 

22 そこでユダヤ人たちは言った、「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。 

23 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。 

24 だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。 

25 そこで彼らはイエスに言った、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼らに言われた、「わたしがどういう者であるかは、初めからあなたがたに言っているではないか。 

26 あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。 

27 彼らは、イエスが父について話しておられたことを悟らなかった。 

28 そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。 

29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない」。 

30 これらのことを語られたところ、多くの人々がイエスを信じた。 

31 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。 

32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 

33 そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。 

34 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。 

35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。 

36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。 

37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。 

38 わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。 

39 彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。 

40 ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。 

41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。 

42 イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。 

43 どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。 

44 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。 

45 しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。 

46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。 

47 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。 

48 ユダヤ人たちはイエスに答えて言った、「あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか」。 

49 イエスは答えられた、「わたしは、悪霊に取りつかれているのではなくて、わたしの父を重んじているのだが、あなたがたはわたしを軽んじている。 

50 わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。 

51 よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」。 

52 ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろうと、言われる。 

53 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。 

54 イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。 

55 あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。 

56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。 

57 そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。 

58 イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。 

59 そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。  

  今回、八章ほぼ全部を引用したのは理由がある。エルサレムにおける、このイエス・キリストとパリサイ人たちとの会話は、主イエスが真理を語るときのスピリットと、人間側の頑なさが、実に生々しく記述されているからだ。なぜこれ程現実味を帯びているように感じるかというと、主イエスは今も変わらず、また人間の心の性質も全く変わっておらず、クリスチャンが聖霊によってキリストを証しするとき、同じような反応が起こるからである。

23,24 

「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」 

  何という厳格さであろうか。『万人救済の福音』を説く人々は、真っ先に言うだろう。「こんな言葉を愛の神が言うはずない」と。確かに、もし神の愛が最後まで頑な心のままで人生を終える人まで救うのなら、主イエスのアプローチは「無神経」で「残酷」、「過剰に攻撃的」であろう。なぜここまでパリサイ人達の神経を逆撫でするようなことを言わなければならなかったのであろうか。それは、このパリサイ人達が「自分たちはアブラハムの子で、神の律法に従い、罪の奴隷でないから大丈夫だ」と思い込んでいたからである。「自分たちは罪びとやサマリヤ人のように滅ぼされることはない」と確信していたのである。ある意味『万人救済論』と同様に、神の愛の啓示の都合のいい所だけを基に、「自分たちは神に選ばれた民である」という『選民救済論』を主張していたのである。だからこそ、主イエスは「私が父なる神から遣わされた者であることを信じなければ、罪のうちに死ぬことになる」と言って、救いを受けるための条件を明確に啓示したのである。

 さらに注目すべきは、パリサイ人達の心の頑なさに対するイエスの知識である。

30,31

これらのことを語られたところ、多くの人々がイエスを信じた。 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、

  イエスの言葉を聞いていたパリサイ人らの多くが、イエスを信じた、とある。イエスはその信じた人たちに向かって「あなたがたはわたしを殺そうとしている」「悪魔から出てきた者」「あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」「偽り者」と語っているのである。イエスはこれらの人々の「信仰」を挫くつもりだったのだろうか。イエスの言葉に彼らの魂に対する愛はなかったのだろうか。

 イエスが自分は神の子であるという真理を啓示したがゆえに、この「イエスを信じた人々」は、イエスに石を投げつけて殺そうとした。人間の心は二千年後も全く変わっていない。それでも神は人間に「不愉快な」真理を語り続ける。なぜなら、その真理だけが本当の自由を与えることができることを知っておられ、彼らの魂を真に愛し、永遠の滅びから救いたいと切実に願っているからである。

エレミヤ23:29

主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。 

ヨハネ6:66-69

66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。 

67 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。 

68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。 

69 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。 

)に続く