エレミヤ12:7-13
7 「わたしはわが家を離れ、わが嗣業を捨て、わが魂の愛する者を敵の手に渡した。
8 わたしの嗣業は、わたしにとって林の中のししのようになった。これはわたしに向かってその声をあげる。それゆえわたしはこれを憎む。
9 わたしの嗣業は、わたしにとって、斑点のある猛禽のようではないか。他の猛禽がこれを囲んでいるではないか。行って、野の獣をみな集め、連れてきてこれを食べさせよ。
10 多くの牧者たちはわたしのぶどう畑を滅ぼし、わたしの地を踏み荒した。わたしの麗しい地を荒れた野にした。
11 彼らはこれを荒れ地としてしまった。その荒れ地がわたしに向かって嘆くのだ。全地は荒れ地にされた。しかし、ひとりもこれを心に留める者はない。
12 滅ぼす者どもが荒野のすべての、はげ山の上にきた。主のつるぎが、地の、この果から、かの果までを滅ぼすのだ。命あるものは安らかであることができない。
13 彼らは麦をまいて、いばらを刈り取る。苦労してもなんの利益もない。彼らはその収穫を恥じるようになる。主の激しい怒りによってである」。
預言者エレミヤの口を通して語られたこれらの嘆きは、主なる神が当時のイスラエルの民だけではなく、御子イエス・キリストの尊き犠牲によって贖い出した自分の民、つまり御子がその死の代価によって「買い戻した」嗣業(新改訳 相続地)が、猛禽に囲まれ、多くの不忠実な牧者たちのために荒地にされ、放棄されていることを、御子自身がどう見ているかを暗示している。
主なる神はご自身の民を「キリストの体」、そして「聖霊の宮」とし、「わが家」「わが嗣業」「わが魂の愛する者」と呼んだ。しかしいつの間にか、それは主に向かって吠える「林の中のしし」の状態になってしまっている。
Ⅰコリント3:16-17
16 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
17 もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。
Ⅰコリント6:19-20
19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
本来、よき牧者の声に聞き従う従順な羊であるはずなのに、木の陰に隠れ獲物を狙う獰猛なライオンのようになり、御言葉というよき牧草で満たされているはずなのに、尽きない欲望に絶えず呻く猛禽のようになっている。主なる神が御言葉を送れば吠え、御手を差し伸べれば牙をむいて脅す。
ゼパニヤ3:1-5
1 わざわいなるかな、このそむき汚れた暴虐の町。
2 これはだれの声にも耳を傾けず、懲しめを受けいれず、主に寄り頼まず、おのれの神に近よらない。
3 その中にいるつかさたちは、ほえるしし、そのさばきびとたちは、夜のおおかみで、彼らは朝まで何一つ残さない。
4 その預言者たちは、放縦で偽りびと、その祭司たちは聖なる物を汚し、律法を破る。
5 その中にいます主は義であって、不義を行われない。朝ごとにその公義を現して、誤ることがない。しかし不義な者は恥を知らない。
御子の十字架の死を通して、今も神の至高の愛が示されているのに、「もっと愛を示せ!」「私が欲しいものをもっと備えろ!」「まだか!早くしろ!」「近寄るな!」と吠える。
そして主が遠くで様子を見ていると、いつの間にか自分で「獲物」を捕らえ、満腹になって眠ってしまう。
黙示録3:14-17
14 ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
しかし主なる神は御子に与えた嗣業を決して放棄しない。忍耐深く手を差し伸べている。
黙示録3:18-21
18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
20 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
21 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
22 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。
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