二週間前にこのマエストロの工房に訪れた時は、一台の壊れたチェロが隅に立てかけられていた。表の響板が割れ、側板にも何か所か穴が開いていて、マエストロに「こんな傷んだチェロでも、修復するのですか」と聞くと、「この楽器と同じぐらい古い木があるから、大丈夫だ。とてもいい音がでるようになるはずだ」と嬉しそうに見ていた。
今朝は工房に行ってみると、解体され、修復が始まっていた。
そして表板の裏側をみて、感動してしまった。おそらく何人もの職人の手を通ってきたのだろう。まるでフランケンシュタインの頭のようなボロボロ(失礼!)の板でも、マエストロの目にはいい音を奏でる可能性を秘めた響板であり、彼は実際そのために黙々と仕事をしているのである。
同じサイズの新しい木でも作れるだろうし、そのほうが多分楽なのだと思うが、このような継ぎ接ぎだらけでも、オリジナルの響板でなければいけないのである。
私はこの継ぎ接ぎだらけの板に、自分の人生が映し出されてようでドキドキしてしまった。表向きの表情とはまた違い、内側は無数の割れ目や傷跡があり、傍から見ればそれは痛々しいものだろう。
それでも「私のマエストロ」は、手を休めず、私自身がまだ聴いたことのない「音」を求めて、今日も働き続けているのである。
ピリピ1:6
そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。
関連記事: