an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

躓きを来たらせた者と躓いた者

ルカ17:1-4

1 イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。

2 これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。

3 あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。

4 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。

 「つまずきが来ないようにはできない。しかしそれを来させる人はわざわいである。」(前田訳)

 終わりの時代においては、このイエス・キリストの警告の言葉が歪められてしまっている。躓きを来たらせた者が悔い改めることなく、平然と責任ある立場に居座り、逆に躓いた者に赦しを強要し、「躓く者は信仰がないのでわざわいだ」と言って、躓いた小さき者の首にひきうすをかけて海に投げ入れている。まさに邪悪な時代である。

 しかし神の言葉は変わることはない。神の義による審判は、そう遠くはない将来、迅速に行われるだろう。

マタイ24:10-13

10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 

11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 

12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。 

13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。