an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

狐と葡萄

岩波文庫『イソップ寓話集』中務哲郎訳

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『狐と葡萄』

腹をすかせた狐君、支柱から垂れ下がる葡萄の房を見て、取ってやろうと思ったが、うまく届かない。立ち去りぎわに、独り言、

「まだ熟れてない」

このように人間の場合でも、力不足で出来ないのに、時のせいにする人がいるものだ。

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すっぱい葡萄 - Wikipedia

 「すっぱい葡萄」(すっぱいぶどう)は、イソップ寓話の一つ。「狐と葡萄」ともいう。

 

【あらすじ】

 キツネが、たわわに実ったおいしそうなブドウを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

 

【解説】

 手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を「価値がない・低級で自分にふさわしくない」ものとみてあきらめ、心の平安を得る。フロイトの心理学では防衛機能・合理化の例とする。また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語である。

  イソップ寓話自身の解説によると、狐が「時のせい」にしていることになっているが、ウィキペディアの解説では、時間の要素よりも対象に対する侮蔑を強調している。

 現代の「狐」は、「届かない葡萄」を侮蔑するだけでなく、その葡萄を喜んで食べる鳥やリスたちを卑下して虚勢を張る。