神の愛の源泉
Ⅰヨハネ4:16-21
16 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。
18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。
19 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。
20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。
21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。
「神は愛である」
「神がまずわたしたちを愛して下さった」
何という深遠な啓示だろうか。神のアイデンティティーは「愛」そのものであり、人間が神を信じるか否定するかに関係なく、それは永遠に不変である。そしてそのアイデンティティーは人間が認識できないかたちで存在するのではなく、実際に私達に働きかけ、私達の心から恐れを取り除き、「兄弟を愛しなさい」という戒めをもって元々愛することができない人を愛するように私達を造り変える。
自分は誰にも愛されていないと感じる時。
将来のことや死に関して恐れに囚われてしまう時。
自分のことを愛してくれる人さえ愛せない時。
人の心は絶えず変わり、取り巻く状況も変化し続ける。しかしそのような私達に変わることのない啓示が与えられている。イエス・キリストの十字架である。二千年前のエルサレムで現実に起きた事象のうちに、神のアイデンティティーとその愛の力が、現在も変わらず啓示され続けているのである。
ローマ5:8
(新改訳)
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
(前田訳)
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。