an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

什一献金について(7)開かれた天の窓

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エペソ1:3-7

3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、

4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、

5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。

6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。

7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。 

エペソ2:4-6

4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――

6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。

 このエペソ人への手紙にある「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し」「共に天上で座につかせて下さった」という啓示は、マラキ書の言葉と比較するとその圧倒的な恵みに感謝せずにはいられないものである。

 什一献金について(6)マラキ書 - an east windowにおいて書いたように、律法の下にあって神はイスラエルの民に条件付の祝福の約束をした。

マラキ3:10,11

10 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。

11 わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。

 「約束の地で獲れた産物の十分の一の全てを、律法の中で命じられているように、忠実に神の宮に携えてきなさい。そうすれば主なる神は天の窓を開いて豊かに地を潤し、地の産物を守ってくださるだろう」というものである。

 しかし新約聖書のエペソ人への手紙は、「イエス・キリストによって、天の窓はもうすでに開かれ、神を信じるあなたがたはその信仰によって、キリストと共に天上の座につき、そこであらゆる霊的祝福をもって祝福されている」と啓示しているのである。

 勿論、「天の窓」「天上の座」とは象徴的な表現である。重要なことは、神は「天の窓を開いて」御子をこの地上に肉体をもった一人の人間として遣わせただけでなく、十字架の死と復活を通して、聖霊を豊かに注ぎ、罪びとには許されていなかった「神の臨在に座し、憩うこと」を信仰によって可能にしてくださったことである。

 よって、神の御旨によって開かれた「天の窓」を、「什一献金」という偽りの教えの「鍵」によって開け閉めできると思うことは、神の恵みを侮る行為である。