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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

生けるキリストを求めて(26)アブラハムの所からソドムへ下った主なる神

生けるキリストを求めて(旧約聖書の中のキリスト) 十字架の言

創世記18:1-5

1 主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、

2 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、

3 言った、「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。

4 水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。

5 わたしは一口のパンを取ってきます。元気をつけて、それからお出かけください。せっかくしもべの所においでになったのですから」。彼らは言った、「お言葉どおりにしてください」。  

 この有名なエピソードでは、主なる神は人間の姿で、同じように人間の姿をもった二人の御使いを従え、アブラハムに対して顕れた。少なくともアブラハムは「三人」の人間として認識し、休息と食事を提供している(当時の風習では、旅人をもてなすことは礼儀として当然のことであった)。興味深い点は、三人に休息を提供しているのに対して、「わが主よ」とその中の一人に対して語りかけていることである。そしてこの謎の旅人らはアブラハムのもてなしを受け入れ、アブラハムが用意した最高の食事を口にした。

創世記18:6-8

6 そこでアブラハムは急いで天幕に入り、サラの所に行って言った、「急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい」。 

7 アブラハムは牛の群れに走って行き、柔らかな良い子牛を取って若者に渡したので、急いで調理した。

8 そしてアブラハムは凝乳と牛乳および子牛の調理したものを取って、彼らの前に供え、木の下で彼らのかたわらに立って給仕し、彼らは食事した。

 そして食事の後、一人の御使いは「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。」とアブラハムと妻サラにイサクの誕生を預言した。

創世記18:9-15

9 彼らはアブラハムに言った、「あなたの妻サラはどこにおられますか」。彼は言った、「天幕の中です」。

10 そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。

11 さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。

12 それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。

13 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。

14 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。

15 サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。

 年老いたサラは冗談だと思って笑ったところ、今度は「主」が一人の御使いが同じ内容の預言を繰り返した。「来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。」

 そして二人は「主」とアブラハムから離れ、ソドムの方へ旅立った。実際、十九章を読むと、ソドムの町に住んでいたロトに姿を現したのは二人だけであった。

創世記18:16-22

16 その人々はそこを立ってソドムの方に向かったので、アブラハムは彼らを見送って共に行った。

17 時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。

18 アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。

19 わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。 

20 主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、

21 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。 

22 その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。 

創世記19:1,2

1 そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、 

2 言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、われわれは広場で夜を過ごします」。 

 そしてその場に残った「主」とアブラハムは、ソドムに対する裁きで押し問答し、最後に主もソドムへ向かっていった。

創世記18:23-33

23 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。

24 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。

25 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。

26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。

27 アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。

28 もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。

29 アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。

30 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。

31 アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。

32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

33 主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。 

 主なる神は、「わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」とアブラハムに語ったが、実際にはソドムの町へは姿を顕さなかった。先にソドムに向かった二人の御使いはロトの家族の手を取って彼らを救おうとしたが、主なる神はアブラハムに対して顕現したようには、ソドムの人々に姿を現すことはなかった。否、むしろ主なる神は罪を悔い改めようとしない人々に対して、降り注ぐ「硫黄と火」という神の裁きとして御自身を啓示したのである。

 御子イエス・キリストが人として受肉し、地上に顕れたのは、救いの啓示であると同時に、罪に対する徹底した裁きの啓示であった。しかしソドムのエピソードとは反対に、その神の罪に対する裁きは頑なな罪びとの上にではなく、十字架の上の御子の上に全て降り注がれたのである。その十字架の上で、御子を愛し、御子と共にいるはずの父なる神は「姿を顕さず」、また「答えもしなかった」。そのあまりの過酷な状況に、イエスは「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫んだのである。

 その十字架の御子の上に下った「罪に対する徹底的な裁き」によって、私達の罪びとは赦されるのである。

イザヤ53:4,5

4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。