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an east window

夜明けとなって、明けの明星が心の中に上るまで

吟味の必要

使徒17:10-12

10 そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。

11 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。

12 そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。

 ベレヤのユダヤ人達は、ただ使徒パウロの福音宣教の教えを心から受け入れただけではなく、「果たしてその通りかどうか知ろうとして、日々聖書を調べていた」。つまり、自分達で聖書を開き、パウロの教えと聖書の啓示が一致しているか、時間をかけて吟味していたのである。

 また聖書では、礼拝における預言の言葉を会衆が吟味するべきだと教えている。聖霊の賜物として、神の霊が直接人の口を通して語るに預言に対しても、吟味・弁別を怠るなと教えているのである。

Ⅰコリント14:29

預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。

  • 文語訳:預言者は二人もしくは三人かたり、その他の者はこれを辨ふべし(「弁える・わきまえる」)。
  • 新共同訳:預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい
  • 塚本訳:預言者も、二人か三人語れ、ほかの(預言する)者たちはそれを判断せよ

Ⅰテサロニケ5:19-22

19 御霊を消してはいけない。

20 預言を軽んじてはならない。

21 すべてのものを識別して、良いものを守り、

22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。 

 説教やインターネットを通して発信されるメッセージを、吟味し判断し、場合によっては批判し、神の霊によるものでないものを退けることが、神の霊を悲しませることではない。霊を見分ける力もまた、聖霊の賜物であるからである。むしろ吟味もなく、間違った教えさえも一緒に黙認し、聖霊の内なる警告の声を無視して受容し、与えられた真理に対して妥協することが、御霊を消し、預言を軽んじることになるのである。

 聖霊の導きによらないで語る説教者や教師は、具体的に点に関して聖書を基に指摘すると、大概指摘した者に対する個人的態度や性格を批判して応酬してくる。「裁くお前は何者だ」「お前の心は傲慢だ」「お前の心には愛がない」という具合である。

 当然、批判する側に傲慢の霊が働く可能性は否定できない。それと同時に、上述のような問題点を挿げ替える感情的な反応は、あなたの信仰と精神的健康を守るうえで、重要な判断要素だと言える。